2014年1月22日水曜日

<特別編>文豪森鴎外の描く大塚氏 ~「栗山大膳」を読む~

 NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」を毎週見ているのだが、やはり我が先祖の過ごした日々を想像しながら、戦国時代に思いを馳せる次第である。

 残念ながら、官兵衛に仕えた大塚氏は、それほどビッグネームではないので、ドラマの中に登場することはないと思うが、史実としての大塚氏はのちに福岡藩で宮本武蔵の二天一流を継承するなど、今日へ至る大きな仕事を成し遂げていると言ってよい。

  さて、そんな黒田福岡藩にまつわるエピソードとして、今回はあの文豪「森鴎外」の作品に登場する大塚氏について、特別編をお届けしたい。

 文学における「大塚氏」に手を広げるのは、いささかルール違反のようにも思えるのだが、森鴎外の書いた「栗山大膳」は、小説でありながら、歴史的なバックグラウンドがあるので、今回取り上げることにした。


★フィクションを扱っていいなら、ぜひ「南総里美八犬伝」を読み解きたいのだが!武蔵大塚の大塚番作はじめ、最初の犬士、犬塚信乃の活躍を見よ!
(このネタもいつかやるので、こうご期待!)★



さて、本題に戻って 栗山ちあ・・・もとい大膳である。


森鴎外「栗山大膳」 青空文庫版
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/681_22936.html


 まずは、青空文庫版「栗山大膳」を読んでみてほしい。我らが大塚氏が登場するのは、ほんの一瞬である。


 物語は、江戸三大お家騒動のひとつとして有名な「黒田騒動」を描いている。

 黒田騒動とは、ざっくりといえば、黒田官兵衛に仕えた家老、栗山大膳が、官兵衛の息子である黒田忠之の代になって、突然「福岡藩主、忠之が反逆を計画している!」と幕府に申し出た事件である。

 それ以前から、忠之の行動がおかしいと幕府に目をつけられていたこともあり、すぐに幕府によって両者の取調べが始まるのだが、最終的に「反逆の計画はなかった」として、忠之はお咎めなし、大膳は流罪になってチャンチャンと片がつく。


 で、ここで誰もが不思議に思うことがあり、それは「じゃあ、そもそもなぜ大膳はそんなことを幕府にチクったのだ」という疑問である。そこで、2つの解釈が生まれるわけだ。

 ひとつは、官兵衛の息子、忠之がちょっとグレてチャラかったために、幕府から怪しまれる先手を打って、大膳は大博打に打って出て騒動を起こした説。(結果的に、忠之を救ったことになる)

 そして、もうひとつは、ほんとに大膳は二代目ボンボンの忠之と仲が悪くなったので、チクってやった説。このうち前者の方が受け入れられて、「忠臣栗山大膳」として現代まで話が伝わっている、という流れである。


 森鴎外版「栗山大膳」も、もちろん忠義の家臣説を取っているのだが、前半はちょっとミステリー仕立てになっているので、どちらが善でどちらが悪か、わかりにくいかもしれない。

 中盤からチャラ男の子分、十太夫という人物が登場し、藩政を好きなように牛耳るようになると、「ああ、忠之がだいぶダメ男になりよるなあ」ということがわかってくる。

 そうして、いよいよ幕府から「忠之、ちょっと江戸へ出て来い」と体育教官室の前に呼び出された悪ガキのような感じになるのだが、福岡の城では家臣たちの間で「いざ、殿が殺された場合は、城を明け渡すか徹底抗戦するか」という話になり、それぞれ守りを固める、という風にストーリーは進んでいく。


 その中の一節に大塚氏が登場するのだ。「三瀬越には大塚権兵衛、(が守りについた)」というたったそれだけ!


 最終的に、忠之は「問題なし」という結果になり、大膳が流罪になって終わるのだが、もちろん十太夫くんも排斥されて藩はうまくもとにおさまる、という次第である。


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 さて、鴎外版の「栗山大膳」がどうせ小説だしフィクションなんだろう?と思われてはシャクなので、この話の伝記部分がいちおう歴史に基づいているということで以下の資料を合わせて紹介しておく。



L.A.Wさんのサイトより 「栗山大膳記」 (底本:『列侯深秘録 全』歴史図書社 1975年)
http://law.kan-be.com/daizenki.html#



 こちらは時系列にそって、あった出来事を列記してある記録であるが、「大塚権兵衛・大塚権之亟」として、おなじく大塚氏について記載がある。



 ここで出てくる大塚権兵衛、面白いことに以前紹介した


武将系譜辞典 さんのサイトより「赤松家人名録」

http://www.geocities.jp/kawabemasatake/akamatu.html


の赤松家臣・小寺家臣の「大塚権兵衛」とおそらく同一人物であろうと思われるのだ!じゃじゃーん。

 上記サイトをよく読むと、大塚権兵衛の息子も権兵衛を名乗ったらしいので、栗山大膳に出てくる権兵衛がお父さんなのか、息子の代なのかは少しわからないが、話は一致するのである。


 ということで、赤松-小寺-黒田ルートの大塚氏が、ここでも話のつじつまが合うことから、黒田福岡藩の大塚氏が、やっぱり赤松系でうちの遠い先祖であると考えられるのである。


福岡県の大塚さん!読んでたらご連絡お待ちしてます!家紋教えてくださいね!



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