2015年12月16日水曜日

<話題> 苗字研究家が考える「夫婦別姓」 〜最高裁判決を解説する〜

 みなさんこんにちは。お久しぶりです。ちょっと、諸事情で更新が止まっていましたが、復活しました(^^


 さて、今日は、先日よりニュースになっていた


 夫婦別姓を認めないのは、違憲かどうか?


の最高裁判決がありました。


 ニュースなどはこちら

 NHKニュース 夫婦別姓認めない規定 合憲判断
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151216/k10010343011000.html



 さて、最高裁判決は、


「夫婦が一つの姓を名乗るのは、合理性がある」


というもので、結果として夫婦別姓を認めないことを合憲とするものでした。


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 で、この最高裁判決がどうなるかについては、当ブログでも予言しておりまして。 

 その記事がこちらです〜。


<話題>夫婦別姓 最高裁判決を予言してみる! ~姓氏家系研究家がみた「夫婦別姓」問題~

http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2015/02/blog-post_20.html

 

 はい。ここにも書いていたとおり、日本の戸籍制度は「父という枠、母という枠、子という枠を家族という箱」に入れて管理することにしています。

  これは、近代国家が民主主義社会において運用している「個人の人格や人権」とはまた別の管理方式であり、あまり個人の概念については、この枠や箱には組み込まれていません。

 

 そのため、同姓同士が「父という枠、母という枠に入っても構わない」(同姓同士の結婚が認められた)し、養子のように、DNAに基づかない親子関係が認められるようになっているわけです。

 

  こうした形は、民法上は明治になってからの規定ですが、実際には戦国時代あたりから、こうした形が運用されるようになっていた、と姓氏家系研究家である大塚某は見ています。

 

 家という箱は、徳川家や、伊達家、黒田家のような当主とその家臣団にも似ています。こうした「家」の概念は、戦国時代から現代まで、実は連綿と続いているわけです。

 

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  もし、日本で夫婦別姓を実現するためには、現実の運用上必要な住民票レベルでは、けっこう早く対応できると思いますが、戸籍制度のほうは、かなり改変を要するものと思います。

 欧米で夫婦別姓が実現しているのは、すでに「個人」の概念で市民管理制度が運用されているからで、「家」という箱概念を重視する日本では、そこからひっくり返さない限り、難しいということになるのでしょう。

 

 たとえば、こういうことです。

 

 「どこそこに住んでいるAさんという個人」を管理することを積み重ねるのであれば、夫婦別姓は可能です。AさんのDNA上の父はBさんで、DNA上の母はCさんだけれども、それらは血縁上だけ重要なのであって、市民生活上はどうでもいい、というのが個人主義的な管理方法です。

 

 ところが、日本では実態も運用も違います。管理は「家単位」でなされているので、「Bさんという世帯主がいて、その配偶者がCさんで、こどものAさんはこの家のこどもである」という形で管理されているので、行政がこの家族にアクセスするのもまずは世帯主Bさん宛になるし、学校に通わせる義務もBさんにあるし、こどもであるAさんは結婚するまで独立した戸籍を持てないのです。 

 

 ちなみに、今、上の例を読むとみなさんは普通の3人家族を思い浮かべるでしょうが、実体としては、BさんとCさんは再婚同士で、Aさんは養子で入った子という設定でも、Bさんは男性で、Cさんは性別変更した元男性で、AさんはCさんの連れ子という設定でもおなじなのです。

 

 つまり、やっぱり日本では「父という枠、母という枠、子という枠」にあてはめて物事が遂行されていることがわかるのです。

 

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 ところで、姓氏家系研究の上では、「夫婦別姓」は反対すべき制度なのか、と言われれば、けしてそうではありません。


 夫婦別姓も、ちゃんと、姓氏家系と名字の成り立ちの上では、忘れてはいけない概念なのです。


 古い時代の苗字・本姓の例を挙げる時に


「源平藤橘」

 

 という言葉を使うことがよくありますが、これは、日本人のルーツを辿ると、

 

源氏・平氏・藤原氏・橘氏

 

が源流になっている家が多いよ、ということで代表的な4つの姓として取り上げられるわけです。


 このうち、橘氏の成り立ちがおもしろいのです。


 橘氏というのは、

 

 Wikipediaより、橘氏 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E6%B0%8F

 

県犬養三千代という女性(奈良時代の女官)が、元明天皇から「橘宿禰」の姓をもらったことに始まります。

 

 県犬養というのが彼女のお父さんの名字で、なので、

「県犬養さん家のみっちゃん」

が、”橘みっちゃん”になるわけです。

 

で、この橘三千代さんは、 藤原不比等(あの中臣鎌足の二男で、いわゆる藤原氏の祖)の後妻になるわけですが、不比等と三千代の子は当然、「藤原氏」ということになりますね。

 

 でもでも、そうすると、橘氏は存在しないことになりませんか?

  だって、三千代は藤原不比等の嫁で、子供は藤原なんだから、橘姓を名乗る者がいないじゃん!ということになりますね。これは変です。


 実は、みっちゃんは、不比等の後妻になる前に、美努王という皇族の王子様と結婚しており、その時に「葛城王」という王子様が生まれていたのです。

 この王子様は皇族ですから、もちろん最初は名字がありません。ところが、彼がのちに臣籍降下して「苗字を必要とするようになった」時に、源氏でも平氏でもなく、


 おかんの名字である橘を名乗って、”橘諸兄”となる


のです。ちなみに彼は大伴家持の友達ですので、万葉集には彼の歌がよく出てきます。



 この橘さんの話を読み解くと、古代の「夫婦別姓」の様子がなんとなく見えてきます。


 まず、みっちゃんは、藤原不比等さんと結婚したものの、実は「藤原のみっちゃん」にはならずに、最後まで「橘三千代」だったことがわかっています。


 そう、みっちゃんは夫婦別姓だったのです!!!!


  夫、藤原不比等。妻、橘三千代。と思えば、夫婦別姓でなかなかカッコイイじゃありませんか!

 しかし、子供は「父の苗字を名乗る」のが一般的だったようですね。なので、不比等と三千代の子は「藤原姓」になっていました。


 でも、母の姓というのもそれなりに重要だったので、再婚前のお兄ちゃんたちは、(もともと姓のない皇族だったことも関係あるのですが)


おかんの苗字を名乗るぜマミー!!


ということになりました。

(意外に、これは現代でもありますね。山田さんと結婚した鈴木さんという女性が、離婚して子供は生まれたときの姓は山田なのに、鈴木姓を名乗る、みたいな)



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 というわけで、古代と現代はちょびっと違うところもありますが、日本の歴史を振り返れば


 夫婦同姓も歴史が長いし、夫婦別姓も昔はあったんだぜ


ということが学べます。以上、今後のご参考に(なんの参考やねん)