昨年の「真田丸」に引き続いて今年も戦国時代劇なNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」ですが、のちに彦根藩主となる井伊氏の活躍を描いています。
というわけで、井伊氏関連の「大塚氏」がいないか調べてみよう!とさっそくリサーチすると、彦根藩士に大塚氏が存在することが判明。
彦根藩は取扱いしやすい資料が充実していて、
彦根城博物館
http://hikone-castle-museum.jp/
さんのサイトの中に、藩士リストの資料があります。
『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト
『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト(50音順)
どちらも原典は同じですが、並べ替えがしてあるので、使いやすいほうをどうぞ。
大塚氏は一家ありました。
■ 大塚与一左衛門 400石
籏奉行という役職で、籏指小頭代1人、籏指5人が付属していたとのこと。
残念ながら、手持ちのデータでは出自までは確認できませんでした。
(侍中由緒帳はまだ見ていません)
井伊氏が遠江の井伊谷から彦根に来たのは、慶長5年、石田三成の後釜としての佐和山城入りです。
ところが、井伊直政は家康の側近であるが故に、家康から自身の家臣や旧武田家臣などを付けてもらっているので、彦根藩のメンバー構成は、じっくり見てゆかないとダメかもしれません。
直政自身は、佐和山に入ってすぐ死に(三成の呪い?!)、そのため佐和山城を廃して彦根城が作られたという次第。
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近江にはもともと東近江に「大塚城」という城があり、近江守護六角氏に仕えた大塚氏がいました。
この系統は、のちに蒲生氏に仕え、蒲生の奥州移動に伴ってついていった、という話があります。
遠江大塚・駿河大塚どちらも地名としてはあったようですが、氏族のほうは、まだ未確認。
彦根藩の資料を先に見たほうが早そうですね(苦笑)
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