2017年1月17日火曜日

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」と大塚氏。彦根藩士に大塚氏が!



 昨年の「真田丸」に引き続いて今年も戦国時代劇なNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」ですが、のちに彦根藩主となる井伊氏の活躍を描いています。


 というわけで、井伊氏関連の「大塚氏」がいないか調べてみよう!とさっそくリサーチすると、彦根藩士に大塚氏が存在することが判明。



 彦根藩は取扱いしやすい資料が充実していて、



 彦根城博物館
 http://hikone-castle-museum.jp/


さんのサイトの中に、藩士リストの資料があります。


『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト

『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト(50音順)



どちらも原典は同じですが、並べ替えがしてあるので、使いやすいほうをどうぞ。



 大塚氏は一家ありました。



■ 大塚与一左衛門  400石


籏奉行という役職で、籏指小頭代1人、籏指5人が付属していたとのこと。


 残念ながら、手持ちのデータでは出自までは確認できませんでした。

 (侍中由緒帳はまだ見ていません)



 井伊氏が遠江の井伊谷から彦根に来たのは、慶長5年、石田三成の後釜としての佐和山城入りです。


 ところが、井伊直政は家康の側近であるが故に、家康から自身の家臣や旧武田家臣などを付けてもらっているので、彦根藩のメンバー構成は、じっくり見てゆかないとダメかもしれません。


 直政自身は、佐和山に入ってすぐ死に(三成の呪い?!)、そのため佐和山城を廃して彦根城が作られたという次第。


 

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 近江にはもともと東近江に「大塚城」という城があり、近江守護六角氏に仕えた大塚氏がいました。
  この系統は、のちに蒲生氏に仕え、蒲生の奥州移動に伴ってついていった、という話があります。


 遠江大塚・駿河大塚どちらも地名としてはあったようですが、氏族のほうは、まだ未確認。


 彦根藩の資料を先に見たほうが早そうですね(苦笑)

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