2014年10月26日日曜日

<話題>今日の軍師官兵衛ちゃん ”『如水』の暗号を解け!” 官兵衛コード!

 毎度おなじみNHK大河ドラマ「今日の軍師官兵衛ちゃん」のお時間がやって参りました。


 今日のあらすじは、三成の陰謀によって「蟄居謹慎」を命じられた官兵衛ちゃんが、


 完全剃髪&出家


によって、かろうじて秀吉に許される、というお話。


 みどころは、つるつるに剃りあげられた岡田くんの後頭部です(^^;;ああ、なでなでしたい。


 なんと、今回ヅラではなく、完全ツルツルで臨んだ撮影だそうですので、お宝映像でございます。


 じっくりと堪能なさいませ!!(笑)



 さて、物語は、長政ちゃんが家康に取り込まれていったり、関白秀次がちょっとずつ追い込まれていったり、と展開が続くのですが、当ブログでは今日はそこらへんは脇へ置いておいて、


 ダヴィンチ・コード


ばりのミステリーを追求してみたいと思います!


 題して如水の暗号を解け!」の巻、はじまりはじまり!


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 黒田官兵衛が「如水」と号したその名前の意味・由来としては、いろいろな説があるので、まずはおさらいしておきましょう!
 

①NHK大河式公式見解 司馬遼太郎「播磨灘物語」より

  最初に断っておきますが、司馬本なので「創作」です。ドラマの中で説明されていた漢文は、この話に拠ります。

 「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」「水ハ方円ノ器ニ随フ」

 世間の評価や悪口にあっても、心は水のように清い。水はどのような形の器にも従う。

 ・・・ドラマ的には、三成にいじわるされての申し開きなので、ピッタリ合いますな。




②中国古典 「老子」説

  古代中国の兵法に通じていた官兵衛ちゃんですから、「老子」のことも知っていたかも。

  「上善如水」(じょうぜんみずのごとし)

  最高の”善”というものは水のようでなくてはならない。水は万物のためになりながら、争わず、他人の嫌う低い位置へと流れるからだ。

 ・・・たしかに、官兵衛っぽいといえば官兵衛らしい生き方ですが、果てさてこれが正解かどうか、全く証拠が無いのが問題点。




③功績はすべて水のように消えた、説。 ルイス・フロイスさんの証言。
 
 ウィキペディア参照。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AD%9D%E9%AB%98


 完訳フロイス日本史によると、「手に入れた領地や・権力や武功も全て水のように流れ去った」という意味で、如水と号したらしいよ、という説。





④ジョスイとはすなわち、ヘブライ語の「ヨシュア」説

 そして、俺ん家コード的にイチオシなのが、これ!ウィキペディアにもちょっと書いてありますが、官兵衛ちゃんは「シメオン・ジョスイ」という印鑑を用いていたらしく、「SIMEON IOSUI/IOSUI SIMEON」のスペルでIはJの代替だとか。

 官兵衛ちゃんが使っていた印章は、現代でもお菓子のパッケージになっているので、すぐ見られます。


 如水庵さんのサイトより
 http://www.josuian.jp/item/clist/pt/teiban/st/simonjosui


 さて、官兵衛ちゃんが用いた語は上記からも「IOSUI(つまりJOSUI)」であることはすぐわかるのですが、この説では、この言葉はすなわち


 ヨシュアのポルトガル語読みであるJOSUEではないか、と考えます。ヨシュアというのは、聖書に出てくるモーセの後継者のことだとされるのが一般的ですが、


甘い!!!甘すぎる!!


 なんで、あの官兵衛ちゃんが、聖書の登場人物とはいえ、マイナーな「ヨシュア」の名前をつけるものか、と大塚某は真っ向否定します。


 まっとうなクリスチャンであれば、すぐに気づくのは「ヨシュア」という名前が意味する真実です。


 そう!大塚某は、(自称)歴史研究家でもありますが、(自称)聖書研究家でもあるのです!!


 その大塚某が出した、俺ん家コード的見解は、ズバリ!


 黒田官兵衛ちゃんは、キリストを名乗った!!


というフリーメーソンも驚きの展開です(笑)


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 ここからは、この説の説明を。


 ヨシュアという名前は、何もモーセの後継者だけではありません。古代ヘブライ人にとっては「太郎」に匹敵するドノーマルな名前です。


 そのヨシュアの表記が、各国でどうなっているかの一覧がこちら。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2_%28%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF%29

(ウィキペディアさんより)

  たしかに、スペイン語・ポルトガル語での表記はJOSUEになってますね。如水っぽいです。


 問題はここからで、このヨシュアをギリシア語にするとどうなるか!

 なんと


  イエス


になるのです!!!!


 そう!新約聖書はギリシア語で書かれましたので「イエス」という表記になっていますが、これはヘブライ語では


「イエス・キリスト」=「救世主ヨシュア」


という意味なのです。


 現代のキリスト教では、イエスとヨシュアをあえて別表記して、「聖なる神」と「それ以外」を分けていますが、どちらもおなじ名前が原点なので、黒田官兵衛ちゃんは


”シメオン・イエス”


という意味で自分の名前をつけたかもしれないわけで!


(シメオンは洗礼名だから、イエスのほうは勝手につけた?!)


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 さあ、ここからはさらに深みへとはまります。もともと「ヨシュア」とは「ヤハウェ(エホバ)は救いである」という意味です。


 キリシタン大名として、秀吉らに禁止されても最後まで信仰を捨てなかった官兵衛ですから、ヨシュアという名前はまさに自らにふさわしい。

 
「自分の生き方は水のようなものだ」みたいな仏教無常思想みたいなことを嘯きながら、その実は


「自分の最後の救いは神なのだ」

 
と最後まで信仰告白を続けたとも解釈できるわけで(^^


 おまけに、自分をイエスに置き換えながら名前をつけたとすれば、


「この世界の救世主(真の天下人)は俺だ」


なんて意味もあったのかもしれません。



 まあ、最後のほうはあくまでもフィクションですが、なかなかのミステリーでしょ?!






 




2014年10月19日日曜日

<話題>今日の軍師官兵衛ちゃんVS策士三成ちゃん

 毎度おなじみ日曜日のお楽しみNHK大河ドラマ「軍師官兵衛ちゃん」の時間でございます。


 今日の話は、全体的にうーーーーんといろいろモヤモヤしながらの謎の回でございました。


 これまで、今回の大河脚本は、まあまあ史実を丁寧になぞりながら、かつドラマティックに演出するというバランスのとれた感じで統一されていたのですが、今日の放送では、かなり「?」ハテナが多かったように思います。


<ハテナポイントその1> 三成とチャチャ、謎の密会事件

  前回で第一子を失ったChaCha。悲しみにくれていたものの、そろそろ蘇ります。薄暗い中、三成と謎の密会&


「あたし、もう一度産んでやる!」


的発言。 このシーンをみれば、歴史ファンなら皆「ははあ、これは秀頼を三成の子説で押してくるのかな」みたいな印象を受けたと思います。

 秀頼は、当時も今も「秀吉の本当の子ではない説」が有名ですが、 この描き方だと、「ん?もしかしてこのあと二人は・・・?!」と思わせぶりですね(^^;;;;

 これまでも、基本ChaChaと三成の関係が噂されていましたので、流れ的には、問題ないと・・・。しかし、しかしです!



<ハテナポイントその2> 秀吉、チャチャから直接告げられる

  なんと、今回の大河では「秀吉が直接、ChaChaから『あたし、できちゃったみたい』な話を聞く」という脚本になっていました。

 あれれ?

 これは異説でも仮説でもなく、「北の政所から名護屋城にいる秀吉にあてて、書状が届き、返事をした」ということになっているので、そこにこれまた有名な


『にのまる殿(チャチャのこと)はかりのこにてよく候はんや』

の言葉がでてきます。

 これは、「二の丸ChaChaばかり(だけ)の子ということでええやないか」「二の丸ChaChaは仮の子ってことでええやんか」の二通りの解釈があるようですが、どちらにしても、


「わしの子やないもんね」


と秀吉が認識している証、ともされてきました。しかし、三成密会を描いておいて、この話を取り上げないというのも微妙です。


わざわざ、チャチャが直接告げるシーンにしなくてもなあ、と思ったりしたのですが・・・。



<ハテナポイントその3 自虐史観な朝鮮出兵>

  うーん、なんか朝鮮に渡って日本軍がぼろ負けしてるみたいな描き方になっていますが、これも史実とはいろいろ違います。

 正しいのは


 「兵糧がちょっとしんどかった」「内部、バラバラ」


なところは本当。 史実的には、小西行長はまああんなもんでいいかもしれませんが、加藤清正はイケイケどんどんで、満州まで勝手に1人で侵攻してます(苦笑)


 おまけに、ドラマの主役であるはずの官兵衛ちゃんは、実は「病気を理由に勝手に帰ってきたり、三成とケンカして勝手に帰ってきたり」してます(笑)


  たしかにそれで秀吉に怒られたりしたのですが、ドラマのように三成の策略というわけではありませんでした。



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 とはいえ、ド・ラ・マとしての見所はやはり、後半、石田三成の「(性的な意味じゃなくて)いやらしい」ところ。

 一見、官兵衛ちゃんに負けたようなふりをして、あんなことやこんなことをしてしまいます。

 さすが「策士石田三成ちゃん」です。サスペンスの脚本としては、よく出来てる!!!!


 個人的には、そこまでいやらしく三成を描くんだったら、ChaChaと影だけでも重ね合わせてほしかったなあ、と思います(笑)


 それにしても、拝啓 田中圭さま、毎回毎回だんだんあなたが嫌いになってゆくワタシを許してください(笑)

 それくらい、いい仕事してますね~!!


 そんな策士三成ちゃんのインタビューは、こちら。

 テレビファンウェブさんのサイトより
 http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/959976








2014年10月16日木曜日

<調査中>長崎県の大塚さん 松浦党?それとも・・・。

 全国の大塚さんこんにちは。


 大塚探しの旅がすこし停滞していましたが、面白い記述を発見したのでレポートです。


 うちの父親は、まだ私が生まれる前の若い頃に長崎県で働いていた時期があるのですが、ワタクシもつい最近「戦国調べ」を始めるまでは


 長崎県が、実は昔から長崎県ではなかったという事実


については、あまり知りませんでした。



 いやいや、それを言うなら、兵庫県だって、摂津の国とか播磨の国だし、東京だって江戸だし、当たり前の話なのですが、そういうニュアンスとはちょっと違いますね。


 そう、言い換えるなら、長崎県は独立したエリアだと思っていたけれど、どうもそうではないっぽい、ということを知らなかった、ということです。長崎のみなさんごめんなさい。


 長崎県というエリアは、古来の感覚では「肥前国」「壱岐国」「対馬国」であり、現代人から見ると、



 なるほど、佐賀と長崎は、ある意味一体のエリアだったのね


ということになります。


 逆に、対馬や壱岐は、今の「離れ小島」のイメージとは違い、もっともっと独立したエリアとして存在していました。


 このあたりが、予習のお話です。


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 さて、今回の本題は「長崎の大塚さん」、それも壱岐の大塚さんに注目です。


 壱岐というのは島です。もともと壱岐国として、律令時代から独立エリアだったのですが、この地域は大陸、朝鮮半島とも近く、外交的にもいろいろありました。


 中世から戦国時代にかけては、「松浦党」という武士団の支配力が強まり、肥前から壱岐・対馬ににかけては水軍としての松浦党の拠点となってゆきます。




☆ここでワンポイントメモメモ☆

 水軍、といえばやっぱりベストセラー「村上水軍の娘」で有名な村上氏です。村上氏は瀬戸内海で活躍した海賊衆ですね。


 それから「九鬼氏」の九鬼水軍は志摩国鳥羽を拠点としました。ラッコです。信長の配下になったので織田水軍とも呼ばれる一団で、秀吉の朝鮮出兵にも同行しています。


 安宅水軍というのも忘れないで下さい。淡路島を拠点とした淡路水軍です。安宅船、という軍船がありますが、その名前の由来となったという説もあります。


 大トリはやはり「毛利水軍」です。NHK大河ドラマ軍師官兵衛ちゃんでも、たびたび名前だけ登場します。中でも「小早川水軍」なんて部隊もあり、これはあの小早川隆景が率いていました。


 水軍たるもの、ある武将について戦っている時はその軍団の兵士ではありますが、海を拠点としたならず者という意味では海賊の側面もあります。このあたり、なかなか複雑な経緯を持っていますので、詳しくは


 パイレーツオブ瀬戸内海

とか

 パイレーツオブ東シナ海


という映画を作りたいぐらいです(笑)



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 脱線しましたが、壱岐の大塚さんの話です。こんな資料を発見!


 壱岐国牛まつりの資料より
 http://wrs.search.yahoo.co.jp/FOR=Q3rHx1RV3ijNYLA13p4OSAfd27WcD9qddFuKMbpFifVsc1_jfodXmtbvkt8Jz1mqnDz108QGucr0w8sUZ8Oewq.J6sGZQ2.N4u3RKnqT69WxYp8WWGItyjkzR.MADRhy7WhpTp6VG5SKsXxzslpyjui16zqzmsOUPi1xYTda0nbR1zXfHncANRDyBKfErCz4TcTMQwoPz3YGYAkRaxo2166lIx45zNY8CvbhgZXjgqR8Z615hHc40tVa3QmgLUKTE6yGW83EEisoGN39SNC9Ch02VxiNrYcGYObDs29c9bbs7RcNevsPz3bv1GjQMOToTALlVJSL_yLEdwgOjhWKYgwGrmA9oZWnZGlkeA--/_ylt=A7dPLVazWD9UbF0AJsGDTwx.;_ylu=X3oDMTEydDlobzMyBHBvcwMxBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGUEdnRpZANqcDAwMTI-/SIG=152v46d73/EXP=1413538419/**http%3A//www.city.iki.nagasaki.jp/common/fckeditor/editor/filemanager/connectors/php/transfer.php%3Ffile=/uid000057_797575736875755F30322E706466

 

 これによると、

壱岐市郷ノ浦町の津神社について

「時は寛文12年(1672年)牛の疫病が壱岐島に大流行した為、これを食い
止めようと上代三浦十郎兵衛・大塚十右衛・郡代中島加々衛門・中原弥佐衛門が相談し
て、疫病退散の祈祷が行われ、牛神といわれる素蓋鳴尊と大国主命をお招きして、疫病
退散の祈祷が行われ、牛神が祀られた」


とあり、壱岐平戸藩あるいは、その関係者に「大塚氏」がいたことがわかります。寛文時代は江戸期でも早いほうですから、戦国時代の名残がまだ残っているはずです。


 この大塚氏が少弐系なのか、それとも違うのかは、現時点ではわかってはいません。


 当方の調査では、おなじ肥前でも東側(肥前のくまモンエリア)は段々と解明されつつありますが、現長崎方面はまだまだです。


 このネタ、追加情報があればまたお知らせします。



 というわけで 長崎県の大塚さん!ご連絡待ってます!




 





2014年10月13日月曜日

<TV>信長協奏曲はじまりました~。小栗旬いいねえ。

 今期はNHK大河ドラマが「軍師官兵衛ちゃん」だからか、戦国モノのテレビドラマが流行しているようですね。


 この間まで「信長のシェフ」をやっていたと思ったら、今夜からは「信長協奏曲」がはじまりました。

 基本的にどちらもタイムスリップものですが、今回の「小栗旬・向井理」コンビは演技も上手だし、ハマりそうです(^^


 さて、信長と小栗旬といえば、ちょびっとだけ運命の配役なのです。

 以前、当ブログでもお話したことがある、劇団新☆感線の「髑髏城の七人」2011年版。

 配役は、かの玉転がしの捨之介が小栗旬さんだったのですが、残念なことはこのバージョンは、

 捨之介=天魔王(つまり、織田信長)

という通常演出ではなく、 捨之介と天魔王が別配役になっているバージョンだったのです。


 ああ!世が世であれば二回目の信長役だったのにい!残念!


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 ドラマ本編は、現代らしい味付けがなされた脚本なので、史実との付け合せよりも


 チャラい小栗旬


の魅力が満載です(笑)


 しかし、戦国系ドラマを見ると、常に思うのは


「生きる」


とはどういうことか。ですね。

 佐賀藩の葉隠れではないですが、武士たるもの「死ぬ」ことについては哲学がいくらでもあります。

 しかし、生き延びるとはどういうことか。

 今、この文章を読んでいる全ての人は、かつて武将や農民であったかもしれませんが、


「戦国の世を、ありとあらゆる形で生き延びた先祖の子孫」


であることだけは間違いありません。


 ご先祖様が生き延びた、だから今の自分が存在している。これは、まごうことなき一つの真実なのだろう、といつも思います。






2014年10月12日日曜日

<話題>今日の軍師官兵衛ちゃん 天下の行方、殿下の行方

 毎度おなじみ軍師官兵衛ちゃんの時間でございます。

 今日は、ついさっき(午後6時過ぎ)まで名古屋へ行っておりまして、帰ってきて録画しておいたBS官兵衛ちゃんを見て、いまこれを書いています。


 いやあ、毎度のことながらすばらしい脚本!わかりやすい!わかりやすい!歴史にあまり興味がない人でも、話がすんなり頭に入っている名台本ではないでしょうか。


 どのへんがわかりやすいかと言えば、今日のあらすじを見れば一目瞭然!


 ①明攻めについて、意見が全く合わない官兵衛ちゃんと秀吉ちゃん。ついにケンカ

 ②見かねた千利休が、官兵衛ちゃんに代わって言いにくいことを全部言っちゃう。

 ③当然のごとく怒り出す秀吉ちゃん。利休に切腹申し付ける。

 ④そんな折、鶴松が夭逝。生きがいをなくして凹む秀吉ちゃん。

 ⑤なだめる官兵衛、秀吉もちょっとはまともになったかと思いきや。

 ⑥「わしの生きがいはこれしかないんじゃー!」と逆切れして朝鮮出兵


という流れ。


 うまい!あまりにもうまく繋がりすぎていて、かつ、理論が明快過ぎて完敗でございます!!


 ちなみに、今日のみどころは


「また鼻水をたらしながら秀吉が官兵衛に抱きつくシーン」


ですが、もうひとつ、


「珍しく官兵衛ちゃんが激昂して、拳を畳にたたきつけるシーン」


もカッコイイ!!ひゅーひゅー!



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 では、真面目な解説のコーナー。


 千利休の死罪の原因は、実際にはよくわかっていません。今回の脚本では、朝鮮出兵への反対をことさら大きく取り上げていますが、もっともっと複雑な要因があったようです。

 一説によれば、利休を重用していたのは、秀吉というよりも弟(ドラマ中で今回死にます)の秀長で、秀長が死ぬことによってバックがいなくなって権力低下、ということもありえそうですね。


 もちろん、派手好きな秀吉のこと、利休の追及した「侘び茶」の世界観とは、もともと対立するものであったのかもしれません。



  今回の重要なキーマンとして、やはり鶴松のことも忘れてはなりません。ドラマ中で「3歳で死んだ」旨が出てきますが、あれは

 数え年で3つ

なので、実際は2つほどで死んでいます。もともと病弱で、あまり元気ではなかったのかもしれません。


  鶴松の死、これが「ホンマに秀吉の子か疑わしい、かの有名な茶々の次男秀頼の因縁と繋がってゆきます。


 鶴松がもっと長生きしていたら、豊臣家の歴史は大きく変わっていたかもしれませんね。






2014年10月9日木曜日

<話題>戦国時代は続いている?!『本領安堵』で読み解く現代社会

 みなさんこんにちは


 今日はネットの記事で面白いものがあったので、ちょっとご紹介しておきます。

 

 家を買ったら「住所」違った 関西は「飛び地」の宝庫
 http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1409/19/news023.html

 (ビジネスメディア誠 さんより)



 以前の記事で

「<妄想>この国を作ったのは信長だ?! 戦国から読み解く現代日本のあれこれ」
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/09/blog-post_11.html


というのをやった時に、現代日本は戦国時代を引きずっている、ということを書きましたが、まさにそんな話です。



 記事にあるとおり、関西には「飛び地」がけっこうあって、私が中高生時代をすごした町にも、飛び地のせいで「えらい遠いところから自転車を必死にこいで通ってくる」クラスメイトがいました。


 さすがに、そんな飛び地も「平成の大合併」のおかげでぜんぶがひっくるめておなじ市になったので解消したのですが。


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 さて、ではどうして「飛び地」が生まれるのか考えて見ましょう。

  私たちの「まち・むら」の概念では、基本的に土地は地続きで、A市の中にB市の一部が存在する、といった状態はちょっと考えにくいものがあります。

 ところが、実にわかりやすい世界最大の飛び地なるものがあって、それを思い起こせば納得することができるのです。


  そう、世界最大の飛び地は  アラスカ   ですね。


  アラスカは物理的には離れています(間にカナダがある)が、アメリカ合衆国の領土ですから、当然アメリカです。

 つまり、土地と国とは、すなわち「領土」のことであり、離れていても「領有権」が存在していれば、そこが領有権をもつものの所有になるわけです。


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 現代社会において「領主」さまというのは存在しませんが、ついこの間(江戸時代)までは、領地という考え方は一般的でした。

 なので、飛び地であっても「藩の領地」「寺の領地」「誰か領主の領地」という状態は、比較的容易に起こりえたわけです。

 おなじ領地であれば、そこに住む人同士の結びつきが強かったり、あるいは最後まで領有権が離れたところにあったりして、そのまま近代・現代を迎えてしまえば「市町村の飛び地」が生まれてしまうことになります。

 
 このブログで調査してわかったとおり、ある時期三潴郡の特定の地域は「佐賀・龍造寺氏の領地」でした。

 現代でこそ、筑後地域を経て、福岡県に編入されていますが、世が世であれば「佐賀県」だったり、「佐賀県の飛び地」だったかもしれないわけです。

 おっそろしいことに、土地の面では筑後エリアでいっこうにかまわないのですが、ルーツをたどれば


「佐賀人が取り残されている地域」


だということにもなります。


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 はてさて、となると今度は深く突っ込んでしまいますが「領地」ってそもそもなんぞや。ということになりますね。


 ざっくり日本の歴史をたどれば、「すべての土地は天皇のもの」だった時代から、日本史の授業で習った


「墾田永年私財法」 (開発したら、あんたのもの)


により、「自分の領地」というものがスタートすることになります。


 めちゃくちゃ昔の考えで言えば、「自分で開墾したところ=本領のスタート」なのかもしれませんが、戦国時代までくらいには「本領」がぐっちゃぐちゃになってます(笑)

■ 自分で開発したエリアも「本領」

■ 朝廷から守護や地頭として任されたエリアも「本領」

■ 寄進された寺の領地とかも寺の「本領」

■ 戦国で分捕った領地だって「本領」

■ もう、ワシのもんは全部「本領」

みたいな~。




  ちなみに、ここからは歴史の闇をあつかうちょっとしたトリビア。

 なんでNHK大河ドラマ「軍師官兵衛ちゃん」でも

 「本領安堵が~!」

とみんながわめいているかというと、 「本領」つまり、先祖代々の土地(というよりも、自分がしっかりとした権利を持っている領地)は、


 霊的に俺のもの


だとみんな思っているからです。

 霊的に俺のもの、というのは、「別れた女も、俺の女」みたいな感覚です(笑)

 離れてても、成人してても「うちの子はうちの子」とか、「小室哲哉が著作権を全部、売り払っても、小室の曲は小室の曲」みたいな感じです。


 現代では理解不能なのがこの「霊的に俺のもの」感覚なのですが、この概念はぶっちゃけ天下統一まで残っていました。


 教科書にも出てきた「徳政令」というのは、

「貧しい人が一揆して怒るので、仕方ないから『借金をチャラにしてやりなさい』と命じる法律」

ではありません。


 そうではなくて、お金を出してきちんと買った土地や建物であっても、


「霊的に、それは本来の持ち主のものだから、返すべきだろう。なっ、そうだろ?」


という法律なのです!!!(結果的に、売買契約が無効になる)


 現代人からみたら、すごい内容ですね。きちんと売り買いしたものでも、元の持ち主が対価なしで取り返せるとは爆裂です。

 その理由が、「だって、もともとその人のものだから」では意味不明ですね。




 秀吉の天下統一のすごいところは、「国替え、移封」という手段で、強制的に

 「昔からとか、本来とか『おまえのもの』なんて一切認めないんじゃボケ!」

 ということを示したことなんです。実は。なので、すべての戦国武将は、ビビってしまったわけです。

秀吉、ひいては家康に従っていないと、何も「使用権すら認定されない」ということに気づいて、ひれ伏すことになったのです。


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 さあて、ここからはもっと恐ろしい話をしましょう。この「霊的に俺のもの」「本来の俺のもの」という所有権の感覚は、


 今の民法にも規定されている


のです!びっくり。

 さすがに、債務も売買契約も全部どんぶり返すようなシステムは日本の法には設定されていませんが、考え方は戦国時代を髣髴とさせます。


 その言葉が「原始取得」と「継承取得」という法律用語。


【原始取得】

 とにかく、あんたが一番最初の権利者!という状態。20年間、「これは俺のものだ!」と占有し続けていると、他人の土地でもあんたのものになる。やったね!

 (まさしく、現代の本領ですな)

 誰も占有者がいない「土地以外のもの」は最初からあんたのもの。(川の石をひろう、とか)

 落し物を拾って3ヶ月たった場合、もう前の持ち主とか不明で最初からあんたのもの。

 競売で土地を買った場合。もう、あんたが本領!



【継承取得】

 売買や相続によって「所有権を移転」した場合。前の持ち主から、あんたへ所有権が移るので、前の持ち主が有していた状況もそっくり移動してくる。

 例)前の持ち主がアパートの部屋を誰かに貸していたら、所有権が移っても、誰かを即時追い出せるわけではない、ということ。



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 まあ、こんな風に現代の法律でも「本領とはなんぞや」ということを考えていることがわかりますね。

  ちなみに、雑学トリビアでも有名な


「20年、他人の土地に居座り続けたら、あんたのものになる」


という最強の原始取得状態は、今の法律で決まっているわけではなく


鎌倉幕府の御成敗式目で決められている
(第八条)

から今もそれを引き継いでいるそうですよ!!!!!


 ほら、やっぱり今の日本は戦国時代を引きずってるんだ!















 
 


 





 






2014年10月8日水曜日

<姓氏家系>完全網羅 苗字 吉田姓・吉田氏・吉田さんのすべて! 全吉田氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル

 今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。

 全国の吉田氏・吉田さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。

 抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2014.10.8)


☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆



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★ 参考文献 ★

 今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。

 ① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館

    http://kindai.ndl.go.jp/

 ② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂  八木書店

 ④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版

 ⑤ 「日本の苗字7000傑」  http://www.myj7000.jp-biz.net/
 

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 今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。

※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。

【  】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。



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A  吉田氏  もと丹波氏族「志賀」姓。近江国清和源氏頼光流 寛政譜5 【向こう梅】【五七桐】【十六葉八重菊】

B  吉田氏  武蔵国より起こる。児玉党の有道氏族 【丸に団扇】

C  吉田氏  近江国愛智郡吉田より。宇多源氏佐々木氏族 寛政譜7・19 【三つ地紙のうち方喰】【方喰】【五三桐】【四つ目】

C?吉田氏  宇多源氏佐々木氏族 吉田厳秀より 寛政譜7 【丸に三つ目】【州浜】

C?吉田氏  宇多源氏佐々木庶流 寛政譜7 【左二つ巴】【丸に方喰】

D  吉田氏  藤原氏支流 寛政譜22 【三つ柏】【蔓柏】【向こう梅】

E  吉田氏  卜部氏族 寛政譜22 【桔梗】【左三つ巴】

F  吉田氏  信濃国藤原利仁流斉藤氏族 【五七桐】【丸に一山】【丸に轡】

F?吉田氏  未勘源氏 寛政譜20 藤原氏との説あり。【九枚笹】【丸に一山】

G  吉田氏  三河国清和源氏義家流松平支流 寛政譜18 【裏桜】【九曜】

H  吉田氏  清和源氏義家流足利氏族 【丸に二つ引】【橘】

I  吉田氏  未勘源氏 寛政譜22 【茶の実】【丸に桔梗】

J  吉田氏  清和源氏義光流 もと「古屋」姓。【菱】【丸に二つ引】

K  吉田氏  甲斐国の清和源氏義光流武田氏族 寛政譜19 【五三桐】【蔦】【茗荷】

L  吉田氏  蜂須賀藩家臣成立書に記載 【五本扇】


M  吉田氏  常陸国那賀郡吉田より起こる。桓武平氏大掾氏族・藤原支流 【丸に剣柏】【向かい蝶?】

O  吉田氏  出雲国宇多源氏佐々木支流 【三つ盛変わり州浜】

P  吉田氏  加賀藩給帳に記載あり。【井桁に州浜】【丸に五つ柏】

Q  吉田氏   越前国清和源氏 【大割抱き茗荷】

R  吉田氏  清和源氏頼光流より美濃土岐氏を経て吉田氏 家紋不明

S  吉田氏  平姓富田氏より吉田氏 家紋不明

T  吉田氏  藤原氏長家流より小野寺氏を経て吉田氏 家紋不明

U  吉田氏  藤原氏秀郷流より武藤氏を経て吉田氏。(少弐氏系) 家紋不明


そのほか、吉田姓の家紋では

【四つ目】
【四つ方喰】
【三つ矢】
【唐花】
【丸に抱き銀杏】
【竹に雀】
【揚葉蝶】
【沢瀉】
【地紙】
【割り菊】
【星梅鉢】
【丸に一つ石】


を用いるものがある。


 この他は現在調査中

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2014年10月5日日曜日

<話題>今日の軍師官兵衛ちゃん 「生きられよ!」

 さあ、今日の軍師官兵衛ちゃんの時間がやってきました。


 今日のテーマは、「小田原攻め」だったのですが、「のぼうの城」の忍城(おしじょう)については、ひとこと触れただけ、石垣山一夜城については一瞬映っただけ、という

 超すっとばし脚本

ではありましたが、まあ、尺も残ってないので(笑)それはOKとしましょう。



 今日のみどころは、小田原城へたった一人で乗り込んでゆく官兵衛ちゃんの西部劇まがいのシーンです。


 かっこいい!!!


絵がカッコイイ!まずはそこ。


 史実としては、官兵衛ひとりが全権を持って交渉に当たったわけではなく、窓口としては「家康」「織田信雄」「羽柴雄利」なども担当役だったようです。

 今回も秀吉を悪者にして「所領安堵を約束していたのに、やっぱりやめて切腹じゃ!」パターンが描かれましたが、このへんもちょっと無理がありそうです。


 またか!


と視聴者もそろそろ飽きてくるころでしょうね。

 
 実際としては、以下のような感じ。ドラマではしょられた「大事なところ」がいくつかあるので、気をつけて!テストに出るよ~!!


  北条氏は小田原城にこもっていますが、おなじく仲間の関東武士たちは支城に分散して戦っています。

  
 そうした支城は次々に落ちてゆくのですが、「のぼうの城」で予習したとおり忍城だけは持ちこたえます。(小田原城本体が先に負けます)

 その忍城攻略の責任者が石田光成その人!!!

  だからドラマのなかで秀吉に「光成は戦が下手なんじゃ」と怒られるわけですね。ここはドラマで解説なしですっとばしていますので、覚えておきましょう。


 一夜城については面白いエピソードなのに、早送り4倍速ぐらいで描かれていました。


 ウィキペディアより一夜城
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%A4%9C%E5%9F%8E



 秀吉については「一夜で城を築いた」伝説がけっこう有名なのですが、「墨俣城」については創作だろうと言われ、「益富城」については、見せ掛けだけ、今回の石垣山城が唯一まともそうな


 秒速で城を作る男


伝説にふさわしいエピソードなのですが、 もうちょっと描きこんでほしかったかも(^^



  テストに出るシリーズ最後は


Q「小田原評定」とは、ある状態を表すときのたとえとして使われます。その意味を答えなさい。



という問題です。実はドラマで「解答」がきちんと述べられていますが気づきましたか?!


 答えは「出撃か篭城か」「降伏かまだ戦うか」の議論をいくらしても結論が出なかったことから


A「いつになっても結論が出ない会議・状況」


ということになります。


 まあ、こんな感じで北条方が内部統制がとれなくなってきて、降伏につながったのでしょう。


 これで代ゼミがなくなっても、日本史の入試は大丈夫だね!!!



 また来週~。

2014年10月4日土曜日

<話題>軍師官兵衛ちゃんの謎。あれ?ところでアレはどうなったの?

 なんと、今日は土曜日なので、珍しく放映前にツッコミを入れてしまうという記事ですが、軍師官兵衛ちゃんにまつわる謎について、語ってしまいます。


 先日、撮影本編のほうはクランクアップしたそうで、岡田くんも無事に大役を果たし終えた、というニュースが入ってきたばかり。


 だからこそあえてツッコんでおきたいツボを一挙公開。NHKさん!見てる~?(><;


 今まで何気なく大河を楽しんできたけれど、よく考えたら、あれはどうなったの?という素朴な疑問と不思議をまとめてみました!


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<謎、その1>

 官兵衛ちゃんは、おわんをかぶってくれるのか?!


<謎、その2>

 もこみちはいつ日本号をもらえるのか?!


<謎、その3>

 槍の”塚本”又兵衛が槍を持ってるとこ、見たことない。


・・・・ほら、気になるでしょ~!


 毎回毎回、オープニングで画面に出てくるおわんをひっくり返した形の「鎧兜」ですが、正式名称は


 「銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)」


 というそうです。


 あんなに毎回出てくるのに、そういえば官兵衛ちゃんがあの兜をつけているのは見たことありません。


 一説によると、あの兜をつけたのは「関が原の合戦で九州制圧したとき」だけとか、あるいは官兵衛は具足をあまりつけなかった、とも言われているので、


 最後まで岡田君はおわんをかぶってくれないかもしれない!!


という衝撃の事態に発展するかもしれません。


 あれだけタイトルに出ているのに、一度もかぶってくれないとすれば、これは看板にいつわりあり、詐欺モノですね(笑)


 個人的には、岡田官兵衛のおわんシーンを期待しています。





 つぎ、「酒はのめのめ飲むならば」の黒田節でおなじみの”もこみち太兵衛”のエピソード。福島正則のところを訪れたもこみちに「この酒が飲めたらなんでも好きな物をやるわい」と突き出されたのは、大量の酒。


 それを見事飲み干したもこみちに、約束どおり渡されたのが秀吉から賜った「日本号」という長槍でした。


 全長3mを超える超ロングな槍は、見ごたえのある名品です。


日本号の写真 (福岡市博物館)
http://museum.city.fukuoka.jp/topics/kuroda.html


 なんとまあ、美しい。ためいきの出るような槍ですな。
 
 上のエピソードは、朝鮮出兵の休戦中の出来事だそうですから、ドラマではこれからの場面。ここは流石に描いてくるだろう、と期待して待っております。




 

 最後は「槍の又兵衛」と謳われた後藤又兵衛ちゃんのお話。そういえば、まだ塚本又兵衛が戦場に出ている姿を見たことがありません。


 史実での又兵衛は、城井氏との戦い、朝鮮出兵、関が原合戦などで功を挙げるそうなので、又兵衛の槍シーンはこれから出るか出ないか、といったところですね。


 こちらもさりげなくお楽しみに。


 しかし、又兵衛といえば、これからはじまる長政とのケンカと家出」がクライマックスですから、そちらも見逃せません。


 今のところ、ドラマではあまり長政との遺恨のあるシーンは描かれていませんが、どんな理由付けをしてくるのか気になりますね~。


 説話レベルではこんなお話も。


①城井戦で、ズダボロにやられた長政。反省して剃髪し、家臣もそれに倣ったのに、又兵衛だけはハゲにしなかった。「負けるたびにハゲにしてたら、いつまでたっても毛がのびひんやんけ」と、しれっとしていたので長政の面目丸つぶれ。


②朝鮮出兵で長政が敵将に打たれそうになったとき、加勢しなかった。「あれぐらいでやられるようなヤツは、主君ではない」と言ったとか。


③逆に、朝鮮でトラが出てみんなが大慌てで逃げ惑う中、又兵衛が一発でトラをしとめたところ、長政が「戦の大将という責務がありながら、畜生と戦っている場合ではない」と叱ったとか。



 うーん、まるで仲の良かったお笑い芸人がケンカを重ねて不仲になってゆくような二人ですね。


 たぶん、かつては出来てたんでしょう(笑)




 



2014年10月3日金曜日

<話題>元寇船見つかる?!蒙古襲来、その時大塚氏は?!

 ちょっと面白いニュースが飛び込んできました。


元寇船見つかる?!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141003-00010000-nagasaki-l42



 元ネタは長崎新聞さんです。長崎県松浦市鷹島沖の海底で見つかったのはなんと


「元寇」


で中国大陸からやってきた船だというから驚き!


 まだ、本当にそうなのか調査中段階ではありますが、気になりますね~。


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 というわけでおさらい。元寇、つまりモンゴル帝国の日本への侵攻は2回。

文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、弘安の役(こうあんのえき・1281年)と呼んでいるのはご承知のとおり。


 これは日本からみれば「鎌倉時代」のお話で、鎌倉幕府の源将軍家はすでに凋落、執権の北条氏が実権を握っている、という状態でした。

 モンゴルがやってくるらしい、という大慌ての日本側は18歳の北条時宗を執権として対応しますが、実はそれまで日本人はまともに外敵と戦ったことがありませんでした。


 というわけで、一度目の蒙古襲来では対馬・壱岐の人たちは壊滅状態にさせられ、そのまま蒙古軍は九州へとやってくることになります。



 ウィキペディア 元寇
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87



 資料を見ると日本側の総司令部がよくわかります。

  鎮西西方奉行 少弐資能
  鎮西東方奉行 大友頼康
  西方奉行一門 少弐経資
  西方奉行一門 少弐景資
  肥後御家人 菊池武房
  肥後御家人 竹崎季長
  肥前御家人 白石通泰
  肥前御家人 福田兼重
  豊後御家人 都甲惟親
  豊後御家人 日田永基


 このブログではおなじみ「少弐・大友」氏や肥後の菊池氏、豊後の日田氏など、見慣れた名前が出てきますね。


 少弐経資という名前が出てきますが、この人物の孫が少弐貞経であり、貞経の息子から大塚氏が始まりますので、まだこの段階では少弐系大塚さんは生まれていません。

 しかし、ここで少弐経資が蒙古相手に奮戦したので、今の私がいるかもしれない、というわけです。


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 で、二回目の襲来の時の日本側のメンバーをまた引用しましょう。

鎮西(異国征伐)大将軍 北条実政

諸将
  鎮西西方奉行 少弐経資
  鎮西東方奉行 大友頼康
  西方奉行一門 少弐資能
  西方奉行一門 少弐景資
  西方奉行一門 少弐資時
  関東御使・軍奉行 合田遠俊
  肥後守護 安達盛宗
  薩摩守護 島津久経
  筑後御家人 香西度景
  豊後御家人 都甲惟親
  豊後御家人 都甲惟遠
  肥後御家人 竹崎季長
  肥後御家人 菊池武房
  肥前御家人 福田兼重
  肥前御家人 福田兼光
  肥前御家人 山代栄
  肥前御家人 龍造寺家清
  肥前御家人 龍造寺季時
  肥前御家人 藤原資門
  肥前御家人 船原三郎
  薩摩御家人 島津長久
  薩摩御家人 比志島時範
  伊予御家人 河野通有


 ほーら、出てきましたよ。島津やら、龍造寺やら。こういうリストを見ていると、このあとやってくる戦国時代の礎は、鎌倉時代に既にあることがわかります。


 なぜ、元寇を迎え撃つメンバーと戦国武将軍団が関係してくるかと言えば、簡単にいえば


①朝廷・幕府から蒙古を迎え撃つように指令されたメンバーは必死に戦ったのに


②朝廷からは恩賞をほとんどもらえなかった(海外の敵を追い払っただけなので、土地等が手に入らないから)


③不満を持った武将たちは、幕府のいうことを聞かなくなる。→鎌倉幕府滅亡へ


という流れ、


実際には、このあと「南北朝の動乱」(と室町幕府)というややこしいのをひとつかまして、戦国へ突入するわけですが、なーんとなく


「黒船がやってきて江戸幕府滅ぶ」


と似てますね。やはり海外からの侵略などの危機的状況で、それまでの政府のほころびが露呈する流れは同じなのかもしれません。