先日から、青森県のとある苗字について調べる依頼があり、古い資料を見まくっているのですが、どうも旧陸奥国エリアにもちらほらと大塚姓が見えるようです。
郡誌とか町史レベルでも大塚氏がおられるし、たとえば、
会津藩の大塚氏 (呆嶷館さんのサイト)
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/
のように、会津藩士としても続いているようで。
そもそも、北関東から東北地方にかけては、戦国時代から江戸時代初期まで、ごちゃごちゃしているため氏族の移動も追跡しにくいのが現状です。
城郭放浪記さんのサイト
http://www.hb.pei.jp/shiro/hitachi/tatsugoyama-jyo/
にもあるとおり、常陸・龍子山城を拠点にした大塚氏が、岩城氏に従ったり佐竹氏に従ったりしながら、伊達系について陸奥へ行ったりしているようです。
このへんは動きが激しいので、追従するのが大変。
この一族。茨城県多珂荘大塚郷を拠点とした氏族ですが、詳しいことは
北茨城の歴史 さんのサイト
http://www.ujokinenkan.jp/history.htm
に詳しい説明があるのでご覧あれ。
まあ、当ブログおなじみの完全網羅版では、
完全網羅 大塚姓・大塚氏・大塚さんのすべて! 全大塚氏族超まとめスペシャル
http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8828.html
Mコースの方々ですね。小野崎氏流としていますが、佐竹氏の縁者なのではないか、という説もあります。(あまりルーツはよくわかっていないらしい)
いや~。ふだんは関西~九州にかけてを調べていることが多いのですが、関東以北は難しいですよ。まじで。
2016年1月30日土曜日
<姓氏家系>完全網羅 苗字 出雲姓・出雲氏・出雲さんのすべて! 全出雲氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の出雲氏・出雲さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2016.1.31)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
③ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 出雲氏 出雲大社を奉る出雲国造家の子孫で、神職は千家氏・北島氏へ。
B 出雲氏 中臣氏流で、大中臣氏末裔。
C 出雲氏 武藤少弐氏より出る。九州肥筑地方。
この他は現在調査中。
==========
<告知です>
500円でなんでも頼めるココナラにおいて「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」というサービスを開始しました。
https://coconala.com/services/41874
みなさんの「名字・苗字のルーツ調べ」をさくっとお手軽にお手伝いいたします。
詳しいサービス内容は上記リンクをご参照ください。
既に何件かサポートさせていただきましたが、喜んでいただいております(^^
あなたも歴史ミステリーの扉を開いてみませんか?!
==========
<特集で紹介されました~>
「こんなの見たことない!」ワクワクするユニークなサービスまとめ
http://coconala.com/featured/entry/4372
==========
<新サービス開始>
「戦国武将・歴史上の人物に出会う旅! ~あなたと偉人を繋げます~」
https://coconala.com/services/47988
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全国の出雲氏・出雲さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2016.1.31)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
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★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
③ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 出雲氏 出雲大社を奉る出雲国造家の子孫で、神職は千家氏・北島氏へ。
B 出雲氏 中臣氏流で、大中臣氏末裔。
C 出雲氏 武藤少弐氏より出る。九州肥筑地方。
この他は現在調査中。
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<姓氏家系>完全網羅 苗字 朝日姓・朝日氏・朝日さんのすべて! 全朝日氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の朝日氏・朝日さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2016.1.30)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
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==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 朝日氏 清和源氏宇野氏族。頼親流。寛政譜5 【一文字】【万字】
B 朝日氏 加賀国。室町幕府奉公衆。 【六つ柏】
C 朝日氏 秀郷流もと武藤氏(少弐氏)より出る。九州肥筑地方。【寄り掛目結】
D 朝日氏 桓武平氏繁盛流より常陸大掾氏族を称する。
E 朝日氏 高麗帰化族(高麗氏)の末裔とされる。
F 朝日寺氏 甘露寺氏系山内上杉氏より出る。
G 朝日南氏 京極氏より尼子氏末裔。【四つ目結】
そのほか、朝日姓の家紋では
【柏】
【三つ巴】
を用いるものがある。
この他は現在調査中。
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全国の朝日氏・朝日さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新 2016.1.30)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
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==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 朝日氏 清和源氏宇野氏族。頼親流。寛政譜5 【一文字】【万字】
B 朝日氏 加賀国。室町幕府奉公衆。 【六つ柏】
C 朝日氏 秀郷流もと武藤氏(少弐氏)より出る。九州肥筑地方。【寄り掛目結】
D 朝日氏 桓武平氏繁盛流より常陸大掾氏族を称する。
E 朝日氏 高麗帰化族(高麗氏)の末裔とされる。
F 朝日寺氏 甘露寺氏系山内上杉氏より出る。
G 朝日南氏 京極氏より尼子氏末裔。【四つ目結】
そのほか、朝日姓の家紋では
【柏】
【三つ巴】
を用いるものがある。
この他は現在調査中。
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2016年1月28日木曜日
<姓氏家系>完全網羅 苗字 加茂姓・加茂氏・加茂さんのすべて! 全加茂氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
今回の記事は、九州少弐系の氏族を中心としながら、横の広がりを調査するためにまとめたものです。
全国の加茂氏・加茂さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新2016.1.28)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
③ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
④ ほか
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今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 加茂氏 ヤマトタケル末裔の綾氏より出る。羽床氏を経て加茂氏。
B 賀茂氏 山城国愛宕郡賀茂発祥、上鴨・下賀茂神社社人より、鴨(賀茂)氏。
C 加茂氏 紀伊国加茂城に拠る。藤原姓を称し守護畠山氏に仕えた。
D 加茂氏 清和源氏八島重実流より、山田氏を経て加茂氏。家紋州浜か?
E 加茂氏 少弐氏より三根郡に根付いた加茂氏。加茂弾正の記録あり。
この他は現在調査中。
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全国の加茂氏・加茂さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。(最終更新2016.1.28)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
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★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
③ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
④ ほか
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「吉田姓」「吉田氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 加茂氏 ヤマトタケル末裔の綾氏より出る。羽床氏を経て加茂氏。
B 賀茂氏 山城国愛宕郡賀茂発祥、上鴨・下賀茂神社社人より、鴨(賀茂)氏。
C 加茂氏 紀伊国加茂城に拠る。藤原姓を称し守護畠山氏に仕えた。
D 加茂氏 清和源氏八島重実流より、山田氏を経て加茂氏。家紋州浜か?
E 加茂氏 少弐氏より三根郡に根付いた加茂氏。加茂弾正の記録あり。
この他は現在調査中。
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<特集で紹介されました~>
「こんなの見たことない!」ワクワクするユニークなサービスまとめ
http://coconala.com/featured/entry/4372
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<新サービス開始>
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<116>福岡県の大塚さん 筑後に別の「大塚氏」が存在する? ~浮羽郡を中心に~
当家、三潴地域の大塚氏について研究している最中だが、いわゆる福岡県に相当する地域には、色々なルーツを持つ「大塚氏」が存在していることがわかってきた。
その中でも、当家を含んで着目している大塚氏は、
◇少弐氏→大塚氏という流れのなかで、佐賀へ移動し、佐賀から筑後に入った集団
を想定して話をしているのだが、これとは別に
◇筑前に古くからいて、そのまま福岡藩領に根付いた集団(ルーツが少弐かどうかは不明)
というものや、
◇日田地方を中心にしながら筑後へ入ってきた集団
というものが存在すると考えられるわけである。
さて、研究を進めるうちに、「三潴の大塚」ということばに遭遇する比率が上がってきた。
当家の所在とも関係がある三潴郡(ただし、旧国における)のことなので、見逃すわけにはいかないため、少し考察を加えておきたい。
==========
実は筑後における「大塚」という地名は、この三潴郡大塚だけでなく、もう一つ存在する。ややこしいので現在の地名で書いてゆくが、
<福岡県みやま市(瀬高町)大塚> ・・・近世以前は 筑後国山門郡大塚村
古くは蒲池・田尻氏の支配を受けていた。
という地域が存在する。
それに対して今回取り上げるのは、
<福岡県久留米市(旧田主丸町)大塚> ・・・近世以前は筑後国竹野郡(のち浮羽郡)大塚村
田主丸大塚古墳をはじめ、大塚清長橋古墳群、大塚古墳群などがある。
である。
ついでに言えば、筑前には
<福岡県朝倉市大塚> ・・・近世以前は筑前国夜須郡大塚村
筑前国続風土記附録に
「神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間、(中略)この村(弥永)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛水・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり」
とある。
というのもあるので、ややこしい。
==========
これらを総合的に考えると、どうも、筑後なんだけれど少弐系・日田系ではない
別の大塚氏族
が存在するような気がしてならない。
でも、情報が少なすぎて困りちゅう・・・。
その中でも、当家を含んで着目している大塚氏は、
◇少弐氏→大塚氏という流れのなかで、佐賀へ移動し、佐賀から筑後に入った集団
を想定して話をしているのだが、これとは別に
◇筑前に古くからいて、そのまま福岡藩領に根付いた集団(ルーツが少弐かどうかは不明)
というものや、
◇日田地方を中心にしながら筑後へ入ってきた集団
というものが存在すると考えられるわけである。
さて、研究を進めるうちに、「三潴の大塚」ということばに遭遇する比率が上がってきた。
当家の所在とも関係がある三潴郡(ただし、旧国における)のことなので、見逃すわけにはいかないため、少し考察を加えておきたい。
==========
実は筑後における「大塚」という地名は、この三潴郡大塚だけでなく、もう一つ存在する。ややこしいので現在の地名で書いてゆくが、
<福岡県みやま市(瀬高町)大塚> ・・・近世以前は 筑後国山門郡大塚村
古くは蒲池・田尻氏の支配を受けていた。
という地域が存在する。
それに対して今回取り上げるのは、
<福岡県久留米市(旧田主丸町)大塚> ・・・近世以前は筑後国竹野郡(のち浮羽郡)大塚村
田主丸大塚古墳をはじめ、大塚清長橋古墳群、大塚古墳群などがある。
である。
ついでに言えば、筑前には
<福岡県朝倉市大塚> ・・・近世以前は筑前国夜須郡大塚村
筑前国続風土記附録に
「神殿一間半・二間半、拝殿二間半・四間、(中略)この村(弥永)及び甘木・隈江・楢原・甘水・持丸・菩提寺・千代丸・牛水・馬田・野町・高田・依井・大塚すべて十四村の産土神にして、夜須郡の惣社なり」
とある。
というのもあるので、ややこしい。
==========
これらを総合的に考えると、どうも、筑後なんだけれど少弐系・日田系ではない
別の大塚氏族
が存在するような気がしてならない。
でも、情報が少なすぎて困りちゅう・・・。
2016年1月10日日曜日
大河ドラマ「真田丸」いよいよスタート! 真田丸ズバリ解説!武田はどうして偉いのか?!
待ちに待った2016年大河ドラマ「真田丸」がいよいよ始まりましたね~。
まるまる1年間のブランクを経て、当ブログに大河ドラマ解説の記事が帰ってきました!わーいわーい。
このブログでも公言しておりましたが、基本的にアンチ幕末な大塚某なので、
「戦国大河」
が帰ってきたことは嬉しくてたまりません。
というわけで、第1回の真田丸の補足がてらズバリ解説!をお届けしたいと思います。
<ズバリ解説!1> そもそも今回の真田丸のスタートはいつの時点やねん!!
物語は天正10年からはじまりました。真田氏が使えている親方さまは「武田氏・武田勝頼」です。
これを見て、一般の人たちは「あーなんか、織田信長が武田の騎馬隊と戦ったらしい話は聞いたことあるよな~」と、武田の名前を思い出すところだと思います。
そうそう、その武田!と言いたいところですが、実はそのお話火縄銃の三段打ちVS武田騎馬隊の長篠の戦いは天正3年ですから、もう7年も前の話。
すでに織田方と武田方の勝敗は決しているわけで、今回武田さんは、すごすごと逃げも隠れもしていますが、それもそのはず、
もう最後の瀕死の状況から、ドラマはスタートしたわけなのです。
歴史ファンとしては、武田騎馬隊が負けて織田が優勢に進んでいる中での、現在のこの落ち目な状況、というあたりに一言触れてほしかったような。
とまあ、いきなり武田さんが、ズダボロ状態なのは、そういう文脈で押さえて下さい。
<ズバリ解説!2> そもそも、武田ってなんですごいの?
さて、戦国時代といえば、やはり武田信玄を始めとする武田氏のネームバリューです。「信長の野望」シリーズから戦国マニアになる方も多いようですが、ワタクシ大塚某は、なんとやったことがありません(笑)
「風林火山」の言葉とか、カッコいいし、信玄は確かに強いし、
「なんか武田って凄いぜ、武田って偉いんだぜ」
というイメージがあると思います。
しかし、苗字研究家からすると、武田氏の凄さというか家柄の凄さはそこではナイのです。
それを紐解くには、少しだけ日本史の勉強に立ち戻りましょう。
1192(いいくに)つくったらしい鎌倉幕府の主人公は、言わずと知れた源頼朝ですね。この源頼朝は、もとを正せば
清和天皇末裔、清和源氏・河内源氏の系統ですから、相模国鎌倉に根付いたこの源氏は、
清和源氏・河内源氏・相模(鎌倉)源氏のみなもと氏
とでも呼ぶことができます。
さて、鎌倉幕府の次の幕府は、室町幕府ですね。室町幕府は、足利氏によって開かれましたが、足利氏のルーツを辿ると、これまた清和源氏・河内源氏になります。
とすれば、その所領をもって
清和源氏・河内源氏・下野(足利郷)源氏の足利氏
とでも呼べるわけです。
さあ、そこで武田氏です。武田信玄を代表とする武田氏は、またまたまた清和源氏・河内源氏であり、その所領常陸那珂郡武田郷をもって
清和源氏・河内源氏・常陸源氏の武田氏
と呼んでも差し支えない、ということになります。
ところがここに一つだけポイントがあって、この武田氏、常陸の国から、一度甲斐国に流刑になった縁で、甲斐に根付きます。
そこで、この一派は常陸源氏ではなく、「甲斐源氏」と呼ばれるわけですが、武田氏はその後正式に甲斐守護を任官しますので、たしかに
甲斐を所領とする武田氏
となったのです。
ここまでくるとなんとなくわかりますね?鎌倉源氏が鎌倉幕府を開き、足利源氏が室町幕府を開いたのだから、甲斐源氏の本家本流である武田氏は
世が世であれば甲斐武田幕府を開いても全然おかしくない
レベルの家柄だったことがわかります。
そうですとも!織田や徳川よりも、かなり本物に近い「源氏の武家のトップである正統後継者(候補)」ですから、 凄くて偉かったわけですね。
・・・今日のドラマでも、武田勝頼は結局「甲斐を出るわけにはいかない」と逃げそびれたわけですが、信玄公うんぬんどころの騒ぎではなく、
「甲斐武田の本領たる甲斐を出ることは、甲斐源氏の名を捨てることにも等しい」
重要な決断だった、ということになるのです。
============
というわけで、第一回にふさわしい濃い話をしてしまいましたが、学生のみなさん!!
安心してください!テストには出ませんから!!
(とにかく明るい大塚某)
==========
<お知らせ>
2016年大河ドラマ「真田丸」を毎回つっこむ新連載
【NHK大河連動 ”今日の『真田丸』”】ブログ
は、長野県・信濃周辺を重点的に調べている
のブログに移行します。真田丸関係は、こちらのブログでお楽しみくださいね!
大塚系ブログは、九州に軸足をおいて連載を続けます。
まるまる1年間のブランクを経て、当ブログに大河ドラマ解説の記事が帰ってきました!わーいわーい。
このブログでも公言しておりましたが、基本的にアンチ幕末な大塚某なので、
「戦国大河」
が帰ってきたことは嬉しくてたまりません。
というわけで、第1回の真田丸の補足がてらズバリ解説!をお届けしたいと思います。
<ズバリ解説!1> そもそも今回の真田丸のスタートはいつの時点やねん!!
物語は天正10年からはじまりました。真田氏が使えている親方さまは「武田氏・武田勝頼」です。
これを見て、一般の人たちは「あーなんか、織田信長が武田の騎馬隊と戦ったらしい話は聞いたことあるよな~」と、武田の名前を思い出すところだと思います。
そうそう、その武田!と言いたいところですが、実はそのお話火縄銃の三段打ちVS武田騎馬隊の長篠の戦いは天正3年ですから、もう7年も前の話。
すでに織田方と武田方の勝敗は決しているわけで、今回武田さんは、すごすごと逃げも隠れもしていますが、それもそのはず、
もう最後の瀕死の状況から、ドラマはスタートしたわけなのです。
歴史ファンとしては、武田騎馬隊が負けて織田が優勢に進んでいる中での、現在のこの落ち目な状況、というあたりに一言触れてほしかったような。
とまあ、いきなり武田さんが、ズダボロ状態なのは、そういう文脈で押さえて下さい。
<ズバリ解説!2> そもそも、武田ってなんですごいの?
さて、戦国時代といえば、やはり武田信玄を始めとする武田氏のネームバリューです。「信長の野望」シリーズから戦国マニアになる方も多いようですが、ワタクシ大塚某は、なんとやったことがありません(笑)
「風林火山」の言葉とか、カッコいいし、信玄は確かに強いし、
「なんか武田って凄いぜ、武田って偉いんだぜ」
というイメージがあると思います。
しかし、苗字研究家からすると、武田氏の凄さというか家柄の凄さはそこではナイのです。
それを紐解くには、少しだけ日本史の勉強に立ち戻りましょう。
1192(いいくに)つくったらしい鎌倉幕府の主人公は、言わずと知れた源頼朝ですね。この源頼朝は、もとを正せば
清和天皇末裔、清和源氏・河内源氏の系統ですから、相模国鎌倉に根付いたこの源氏は、
清和源氏・河内源氏・相模(鎌倉)源氏のみなもと氏
とでも呼ぶことができます。
さて、鎌倉幕府の次の幕府は、室町幕府ですね。室町幕府は、足利氏によって開かれましたが、足利氏のルーツを辿ると、これまた清和源氏・河内源氏になります。
とすれば、その所領をもって
清和源氏・河内源氏・下野(足利郷)源氏の足利氏
とでも呼べるわけです。
さあ、そこで武田氏です。武田信玄を代表とする武田氏は、またまたまた清和源氏・河内源氏であり、その所領常陸那珂郡武田郷をもって
清和源氏・河内源氏・常陸源氏の武田氏
と呼んでも差し支えない、ということになります。
ところがここに一つだけポイントがあって、この武田氏、常陸の国から、一度甲斐国に流刑になった縁で、甲斐に根付きます。
そこで、この一派は常陸源氏ではなく、「甲斐源氏」と呼ばれるわけですが、武田氏はその後正式に甲斐守護を任官しますので、たしかに
甲斐を所領とする武田氏
となったのです。
ここまでくるとなんとなくわかりますね?鎌倉源氏が鎌倉幕府を開き、足利源氏が室町幕府を開いたのだから、甲斐源氏の本家本流である武田氏は
世が世であれば甲斐武田幕府を開いても全然おかしくない
レベルの家柄だったことがわかります。
そうですとも!織田や徳川よりも、かなり本物に近い「源氏の武家のトップである正統後継者(候補)」ですから、 凄くて偉かったわけですね。
・・・今日のドラマでも、武田勝頼は結局「甲斐を出るわけにはいかない」と逃げそびれたわけですが、信玄公うんぬんどころの騒ぎではなく、
「甲斐武田の本領たる甲斐を出ることは、甲斐源氏の名を捨てることにも等しい」
重要な決断だった、ということになるのです。
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というわけで、第一回にふさわしい濃い話をしてしまいましたが、学生のみなさん!!
安心してください!テストには出ませんから!!
(とにかく明るい大塚某)
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<お知らせ>
2016年大河ドラマ「真田丸」を毎回つっこむ新連載
【NHK大河連動 ”今日の『真田丸』”】ブログ
は、長野県・信濃周辺を重点的に調べている
横尾さんのルーツ ~ご先祖様探しと家系調査ミステリー不思議発見!~ The roots of samurai yoko.
http://53kiri-yokoo.blogspot.jp/
のブログに移行します。真田丸関係は、こちらのブログでお楽しみくださいね!
大塚系ブログは、九州に軸足をおいて連載を続けます。
2016年1月5日火曜日
北海道の苗字・ルーツ 「屯田兵名簿」の紹介
うちの奥さんが北海道出身なのはこのブログでは既出ですが、北海道にお住まいの方のご先祖さま探しは、まずは
「北海道から脱出する」
ことが、最初のステップになります。
ちなみにうちの奥さんの場合は、直系尊属を戸籍で辿ってゆくと、
道東のある町→帯広市内→福島県
と3代くらい遡ってなんとか道内脱出に成功したところです。その先は、まだ調べてないので、
「早く調べてよ!」
とせっつかれています(^^;;
名字の由来や直接のご先祖さま探しについては、まだ継続中なのですが、うちの奥さんのルーツである福島県のある村では
「村の若者達に、大々的に満州と北海道方面への移住開拓を進めていた」
という情報が挙がってきています。 おそらくそうした動きがあったので、奥さんのご先祖様も新しい大地へと渡っていったのでしょう。
北海道出身の方のルーツは、いくつかの特徴的なパターンがあります。
①松前藩成立以前~以後において北海道に関係した人たち。
・・・この方たちは、現在の北海道在住の人数からみるとかなり少数です。いわゆるアイヌと和人の交易に関わったり、松前藩と絡んで商業取引に当たった人は存在しますが、絶対数が少ないのです。
②明治維新直後の、各藩分領支配によって移住した人たち。
・・・いわゆる映画「北の零年」世代です。北海道開拓を進めるために、とりあえず各藩の「領地」ということにして士族や農民を移住開拓させるのですが、その縁で「釧路鳥取」とか、そういう地名が生まれます。
③屯田兵制度によって入植した人たち。
・・・教科書でよく習う「屯田兵」は北方ロシアの脅威に立ち向かうことと、開拓のためということで、「兵士でもあり、農民でもある」という立場でした。
屯田兵出身の方のルーツ調べについては
T.Takedaさんのサイト
http://www.asahi-net.or.jp/~XJ6T-TKD/tonden/index.html
に詳しい解説がありますのでぜひご参照下さい。
PDFファイルによる「全屯田兵名簿」も公開なさっていますので、先祖が屯田兵、という伝承がある方は、一度ご覧になると良いと思います。
④一般開拓者として、移り住んだ人たち。
うちの奥さんのご先祖パターンがこれだと思いますが、主に東北地方の農家の方で、長男以外のため、継承できる土地がなかったなどの理由で、満州や北海道・サハリン地方へ移住した方が多数おられます。
北海道人口のルーツで言えば、おそらくこのパターンが一番多いのではないか?とも考えられます。
⑤ 炭鉱の関係で移住した人たち。
昭和に入ってからですが、炭鉱の工夫や技師として北海道に入る方も多数おられました。筑豊などの本州系炭鉱が閉山になるに従って、最後まで石炭の産出をしていた北海道へ移る方もたくさんおられました。
映画「幸せの黄色いハンカチ」における高倉健さんのパターンですね。
==========
こうした全体を通して、やはり一番多いのは、地理的に近い「東北地方」からの移動だと思います。風土環境のことを考えても「寒さに耐えられる」という目算があったのでしょう。
逆に、各藩の分領支配で入った人たちは、士族が開拓に耐えられなかったことはもとより、農家でも「寒さや環境の厳しさに耐え切れずに撤退」という事例も多々ありました。
しかし、どのパターンであっても、現在の北海道があるのは、先人のおかげであることには変わりありません。
厳しい環境でも生き延びてきてくださったからこそ、私はうちの奥さんと結婚できたわけで・・・(^^
「北海道から脱出する」
ことが、最初のステップになります。
ちなみにうちの奥さんの場合は、直系尊属を戸籍で辿ってゆくと、
道東のある町→帯広市内→福島県
と3代くらい遡ってなんとか道内脱出に成功したところです。その先は、まだ調べてないので、
「早く調べてよ!」
とせっつかれています(^^;;
名字の由来や直接のご先祖さま探しについては、まだ継続中なのですが、うちの奥さんのルーツである福島県のある村では
「村の若者達に、大々的に満州と北海道方面への移住開拓を進めていた」
という情報が挙がってきています。 おそらくそうした動きがあったので、奥さんのご先祖様も新しい大地へと渡っていったのでしょう。
北海道出身の方のルーツは、いくつかの特徴的なパターンがあります。
①松前藩成立以前~以後において北海道に関係した人たち。
・・・この方たちは、現在の北海道在住の人数からみるとかなり少数です。いわゆるアイヌと和人の交易に関わったり、松前藩と絡んで商業取引に当たった人は存在しますが、絶対数が少ないのです。
②明治維新直後の、各藩分領支配によって移住した人たち。
・・・いわゆる映画「北の零年」世代です。北海道開拓を進めるために、とりあえず各藩の「領地」ということにして士族や農民を移住開拓させるのですが、その縁で「釧路鳥取」とか、そういう地名が生まれます。
③屯田兵制度によって入植した人たち。
・・・教科書でよく習う「屯田兵」は北方ロシアの脅威に立ち向かうことと、開拓のためということで、「兵士でもあり、農民でもある」という立場でした。
屯田兵出身の方のルーツ調べについては
T.Takedaさんのサイト
http://www.asahi-net.or.jp/~XJ6T-TKD/tonden/index.html
に詳しい解説がありますのでぜひご参照下さい。
PDFファイルによる「全屯田兵名簿」も公開なさっていますので、先祖が屯田兵、という伝承がある方は、一度ご覧になると良いと思います。
④一般開拓者として、移り住んだ人たち。
うちの奥さんのご先祖パターンがこれだと思いますが、主に東北地方の農家の方で、長男以外のため、継承できる土地がなかったなどの理由で、満州や北海道・サハリン地方へ移住した方が多数おられます。
北海道人口のルーツで言えば、おそらくこのパターンが一番多いのではないか?とも考えられます。
⑤ 炭鉱の関係で移住した人たち。
昭和に入ってからですが、炭鉱の工夫や技師として北海道に入る方も多数おられました。筑豊などの本州系炭鉱が閉山になるに従って、最後まで石炭の産出をしていた北海道へ移る方もたくさんおられました。
映画「幸せの黄色いハンカチ」における高倉健さんのパターンですね。
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こうした全体を通して、やはり一番多いのは、地理的に近い「東北地方」からの移動だと思います。風土環境のことを考えても「寒さに耐えられる」という目算があったのでしょう。
逆に、各藩の分領支配で入った人たちは、士族が開拓に耐えられなかったことはもとより、農家でも「寒さや環境の厳しさに耐え切れずに撤退」という事例も多々ありました。
しかし、どのパターンであっても、現在の北海道があるのは、先人のおかげであることには変わりありません。
厳しい環境でも生き延びてきてくださったからこそ、私はうちの奥さんと結婚できたわけで・・・(^^
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