2017年12月7日木曜日
NHKの「日本人のおなまえっ」が面白い!
NHKの木曜夜7:30から放映している「日本人のおなまえっ」がめちゃめちゃ面白いですね。
人名探求バラエティ「日本人のおなまえっ」
http://www4.nhk.or.jp/onamae/
ふだん、このブログでもやっているとおり「苗字調べ」をメインに活動しているものですから、おのずと苗字にまつわる番組は見てしまいます。
昨日なんかは「舌」さんとか「目(さかん、さっか)」さんについてのお話でしたが、なかなか興味深かったです。
この番組を見ていてもわかるのは「実は、明治になって新姓をつけた家というのは意外に少なく、それぞれかなり古い時代からの苗字が伝わっている」ということでしょう。
「舌」 さんの先祖が鬼(鬼神)であったり、それこそ皇室ではないですが神話の時代から引き継がれている苗字や家系もたくさんあります。
「目」さんも、”守・介・掾・目”(律令四等官・国司)の『さかん』から来ているとか、時代が古いことこの上ない!
さすがに律令時代(奈良~平安)由来の苗字は少ないですが、たいていのおうちは、戦国時代くらいにはざっくり遡れることが多いです。
ちなみに、私の場合は番組を見る際には、
「どういう書物に当たっているか」
「どういう文献を見て調査しているか」
など、テクニックのほうに興味があります。まあ、たいていはその苗字を持つおうちの方に聞いても伝承が意外と伝わっていない、なんてのはこちらで調査している際もおなじなので面白いです。
あと、余談ですが、苗字研究をなさっている森岡先生が、毎日放送の「ロケみつ」の時は
「セリフが棒読みで有名」
だったのに、NHKのこちらの番組では、ふつうに流暢に話しているので、そのギャップが面白いです。
ロケみつファンだったかたは必見です(笑)
==========
さて、そんなこんなで、当方の苗字調べ活動のほうも盛り上がっています。
テレビ取材も何度か入りましたし、ココナラでの活動もたいへん喜んでもらっています。
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↑一番人気のサービスです~。このほか、通常の苗字調べもやってます。
自分の苗字に興味を持ってくださる人が増えると、うれしいですね!
2017年9月8日金曜日
江戸時代から「大塚家」だった? ~苗字「大塚」の新発見!~
大塚氏、大塚家のルーツを探すことに全力を傾けているこのブログだが、今回久しぶりに実家本家へ帰省することができ、
新たな発見
があった!
それはこれまでの調査で見落としていた大変興味深い内容で、まさに驚愕の事実だったりするのである!
実家のお墓に関する調査で、これまで見つかっていなかった碑文を見つけた時にはさほどなんとも思わなかったのだが、
「実に面白い」
ことを見つけてしまったのだ。
==========
今回発見した墓は明治時代のものである。
明治、と聞けばたいていのこのブログの読者は「なんだ明治か」とちょっとスルーしてしまいそうになるのは当然。
苗字の成り立ちやら、先祖やルーツを調べるに当たっては「明治」時代はもはや最近のことで、なんなら明治生まれの人は
「会ったり話したりしたことがある」
ことだって可能な”いわば現代”なのだからである。
なので、最初私も、スルーしかけたのだが、そこに「大きな謎」が仕込まれていたのである。
そのお墓、祀られているのは私のおそらく先祖筋に当たる人で、
「大塚■■」
さんのお墓、と刻印されている。建立者はその人のお父さんで、
「大塚□□」
さんと、これまたこの人の苗字と名前も彫り込んであるのである。
問題なのは、その建立年号で、
「明治三年 午二月○日」
と刻まれている。
江戸時代から戦前までの年号は、ほぼ干支が同時に記載されているので、その表記法が、
『寛政五癸丑○月○日』
とか
『文政六癸未正月○○日』
とか
『天明二壬寅年○○月廿○日』
とか、
『明治廿一子○月○日』
とか、六十干支の場合もあれば、十二支の場合もある。”年”の文字の記載がある場合も、ない場合もある。
さて、当家の場合は、年号プラス十二支バージョンだと思われる。それ自体はなんてことないのだが、
明治3年2月のお墓に「大塚だれそれ」の文字が入っていることが、
「実に面白い」
のであった。
なぜか。
「平民苗字許可令」(太政官布告第608号)が出たのは明治3年9月19日(1870年10月13日)のことであり、
明治3年2月の時点では、「苗字を名乗ることはまだ許されていない」可能性が大なのである。
ましてや、必ず苗字を名乗れ、と定められた、「苗字必称義務令」は明治8年のことである。
だとすれば、当家大塚氏は、
「苗字を名乗れと決められてから大塚を名乗った」
のではなく、ましてや
「苗字を名乗っていいよ、と決まる前にフライングでお墓に書いて」
いるのである。
これを、「幕末から明治草創期に、苗字を名乗る許可を受けていた」と見ることもできる。
(あるいは許可直前で統制が緩んでいた?)
==========
いずれにしても、これからわかることは、
大塚家は、江戸時代から大塚家であり、後付した苗字(いわゆる必称令によって、創作したりしたもの)ではない
ということなのである。
という地味ではあるが派手な発見がこの夏一番の成果であった。
2017年8月24日木曜日
<調査中> 高知県の大塚さん
高知県の氏族は、いわゆる長宗我部時代と、そのあとの山内時代で大きく変動があり、むしろ旧来の豪族達はちょっとだけ圧力をかけられていた節があるので、調べるのに苦労することが多い。
高知土佐と言えば坂本竜馬だが、坂本家が士分を後から購入したとはいえ
「上士と下士」
に身分が別れていた、なんてのはよく知られた話である。
竜馬もののドラマなんかを見ていると、いばり散らす上士と、いじめられる下士のシーンが良く出てくる。
この待遇の違いは、簡単に言えば長宗我部の旧家臣などの古い時代の豪族や戦国武将の子孫が「下士」で、新しく統治を任された「山内一豊」ら、後から入ってきた武士達が「上士」ということになる。
このほか土佐では、侍待遇なんだけれど、城下ではなく郡部に住んでいる「郷士」格もたくさんいたので、そのあたりは本当にややこしい。
(ちなみに土佐以外では郷士に当たる地場の戦国武将の末裔は、帰農して庄屋になったりしていることが多いので、武士身分は失っていることがある)
========
さて、というわけで、土佐にも大塚氏の記録が。
ウィキペディアより
大塚八木右衛門
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%85%AB%E6%9C%A8%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
土佐一条氏の家臣ということなので、古い時代の武家である。
土佐一条氏はバリバリの元貴族で、藤原氏の直系5摂家のひとつ。それが応仁の乱あたりに自分の荘園があった土佐へ移動してきたもので、格式が高いまま武家へと変化していった。
戦国の争乱では、最終的には長宗我部に負けてしまうのだが、その長宗我部も・・・ねえ。
で、大塚八木右衛門は、国侍なので中央からの下向組ではなく、元は地元の豪族であったか。
現在でもこの土佐大塚氏が続いているのかは、不明。高知県の大塚さん、なにか伝承があれば教えてください!
<調査中> 宮城県の大塚さん
苗字調べをしていて、北海道移住者や、開拓者などの名簿を当たっていると、「大塚氏」に出くわすことがある。
琴似兵村入植者
http://www.kotoni-works.co.jp/history/history3/history3.shtml
今回は北海道は琴似へ移住なさった大塚氏。
出身は宮城県の亘理郡とのことだが、亘理郡では氏族として大塚氏の記録があまり見つからない。
その代わりに地名としての大塚が存在して、
■ 宮城県亘理郡亘理町長瀞大塚
■ 宮城県亘理郡亘理町吉田大塚
の二箇所がすぐに見つかった。
宮城県には、
■ 宮城県東松島市大塚
という地名もあり、こちらは一般的には「陸前大塚」と呼ばれている。陸前大塚駅があるので、地元の人はよくご存知だと思う。
========
逆に、大塚氏族の系譜があまり見つからないということは、地名由来の苗字なのかもしれない、と現段階では調査不足。
宮城県の大塚さんで、ルーツをいろいろ伝承なさっている人は、ぜひお教えいただきたい。
旧陸奥地方は、分割前が広大だったため、絞込みが難しいのが難点!!!
<姓氏家系>完全網羅 苗字 中塚姓・中塚氏・中塚さんのすべて! 全中塚氏族 由来・ルーツ 超まとめスペシャル
大塚姓との関連を調べるため、周辺の苗字の由来も読み解いてゆきます。
全国の中塚氏・中塚さんにまつわる先祖のルーツを完全網羅しています。
抜けているもの、未調査のものは、随時加筆しています。
(最終更新 2017.8.24)
☆個別の御家のルーツについてより詳しく知りたい方は、記事下部の
「苗字・名字の由来と先祖探しのアドバイスをします」
よりご依頼ください☆
==========
★ 参考文献 ★
今回のリスト制作に当たっては、以下の参考文献を元に作成した。
① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/
② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
④ 「姓氏家系辞書・姓氏家系大辞典」 太田亮 近代デジタルライブラリー版
⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
==========
今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「中塚姓」「中塚氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
A 中塚氏 備中国。橘氏より出て、大塚・中塚・小塚と別れたものか。東作誌など。
B 中塚氏 磐城地方。田村家臣に中塚氏があったが、天正期に二階堂氏に滅ぼされる。
そのほか、中塚姓の家紋では
【源氏車】
などを用いるものがある。
この他は現在調査中。
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③ 「続・家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
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⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
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今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「中塚姓」「中塚氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
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A 中塚氏 備中国。橘氏より出て、大塚・中塚・小塚と別れたものか。東作誌など。
B 中塚氏 磐城地方。田村家臣に中塚氏があったが、天正期に二階堂氏に滅ぼされる。
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★ 参考文献 ★
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今回のリストは、上記参考文献を元に、全国各地に散らばる「塚本姓」「塚本氏」について、なるべく重複を避ける形でわかっていることを列記したものである。
※ 寛政譜に記載のある場合、数字においては【八木書店版】「寛政重修諸家譜」の巻数を表す。
【 】内についてはわかるかぎりの家紋を示した。
==========
塚本姓は、氏族姓としてのほか、「地名姓」として生じているものも多い。その場合、本来の地名は「大塚」であったり、「塚原」や「遠塚」など塚にまつわるもので、その場所に住む氏族が「塚本」を名乗ることが多いと思われる。
詳細は調査中。
A 塚本氏 桓武平氏より出て筑後国。 【カタバミ】 肥後の菊池氏に仕えたのも同族か?
B 塚本氏 河内国。橘氏より出る。【橘】 元越智姓伊予橘氏から、楠木氏系統もあるか。
そのほか、塚本姓の家紋では
【月星】
【両引】
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① 「寛政重修諸家譜」 索引ならびに影印本 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
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② 「家紋でたどるあなたの家系」 千鹿野茂 八木書店
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⑤ 「日本の苗字7000傑」 http://www.myj7000.jp-biz.net/
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詳細は調査中。
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B 塚本氏 河内国。橘氏より出る。【橘】 元越智姓伊予橘氏から、楠木氏系統もあるか。
そのほか、塚本姓の家紋では
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2017年6月9日金曜日
満鉄社員の調べ方 ~南満州鉄道 社員録・社員名簿一覧~ (職員録・職員名簿)
昨年の記事で取り上げた「満鉄・南満州鉄道」関連の情報ですが、
(旧記事)
南満州鉄道に勤務していた祖父を探す
https://samurai-otsuka.blogspot.jp/2016/02/blog-post_12.html
満鉄会さん(満鉄会情報センター)
http://www.01.246.ne.jp/~mateka/index.html
も2016年3月で解散してしまったため、まずは自力で探す必要があります。
そこで、インターネット上でも満鉄職員を調べることができるリンクをご用意しましたので、デジタルな検索はかけられませんが、アナログでもよければご先祖さま調べにご利用ください。
===========
(国立国会図書館デジタルコレクション版)
■ 南満州鉄道株式会社 「社員録」 昭和9年9月1日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1146528
■ 南満州鉄道株式会社 「社員録」 昭和10年12月1日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1711143
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454615
■ 南満州鉄道株式会社 「社員録」 昭和12年9月1日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463740
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445379
■ 南満州鉄道株式会社 「社員録」 昭和15年7月1日現在
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454231
■ 満州官民職員録 (多田商会1934) 昭和9年版
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452665
■ 満州職員録 (満州日日新聞社1940) 昭和16年
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445663
2017年6月1日木曜日
<調査中> 岐阜県を中心とした大塚さん
大塚氏についての調査は、あまり新しい情報が入ってこなかったので停滞気味だったのだが、ブログの読者の方から
かなり興味深いお話
を頂いたので、まとめつつご紹介する次第。
結論から言えば、まだ見つかっていなかった「新しい大塚一族」が発見されたので、さっそく詳細をお伝えすることにする。
ご連絡を頂いたのは関西地方にゆかりのある大塚さんなのだが、おそらくは系図の写しを持っておられるようで、その中身がかなり詳細で興味深いので、個人情報に配慮しながら記述を読み解いてゆきたいと思う。
本来の系図は、ある程度まとまった形のものだったと推測するが、資料を見せていただいたものは、
「人物の名前とちょっとした説明書き」
が書き連ねてあるもので、それでも、おそらく直系子孫が一筆書きでつながるような形になっている。
原本にはおそらく傍系も一部記載があったのかもしれないが、写しなので「当主」のみが続いている形である。
まずはその冒頭部分を
【大塚家譜 旗紋 根笹 幕紋 州浜 馬印 輪違い】
このように、3種類の家紋について言及があるので、なかなか本格的な武家の様式であると思われる。
現代私達がつかう家紋は、だいたいこれらのうちのどれかが伝承されて減ってしまうことが多いが、ちゃんと使い分けが記録されているところがすごい!
そして系統であるが
【 清和天皇 - 貞純親王 - 経基 - 満仲 - 頼光 - 頼国 】
とつながってゆく。
バリバリの清和源氏のわかりやすい系図である(^^
※清和源氏 清和天皇から出た源氏の本家本元みたいな流派。のちに鎌倉幕府を開く源頼朝も、室町幕府の足利氏ももちろんこの系統。
頼光
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%85%89
頼国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%9B%BD
このあたりは歴史でもおなじみの人物である。
さてここから
【 国信 - 頼実 - 光信(始 号大塚) 】
と続く。
源光信が、”はじめて大塚と号した”と読める。
頼実まではウィキペディアでも拾えるが、
頼実
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC%E5%AE%9F
おそらくその子の光信は、大塚に名前を変えていることもあってか、他の記録に残っていない可能性もある。
==========
さて、この一族、ここから10代くらいは、おそらく都にいて官位をもらいながら貴族として生活したようである。
光信は「出羽守・従五位下」であり、この従五位下が平安貴族として認められる最低ラインなので、ここまでは朝廷の本流にいた、ということだと推定できる。
光信から6代は、おなじく従五位下の位で、 「伊賀守」「左近将監」「隠岐守」などの職を得ていることがわかる。
さて、この子孫のうち、途中で、
「国行 (後鳥羽院北面達)」
という人物が現れる。 このあたりからいわゆる「北面の武士」としてこの大塚家が、貴族から武家へと変化していったことがうかがえる。
ここから二十代くらいは、官職も「式部大輔」「大蔵少輔」「右京大夫」「上野介」など、役職が少しずつ下がっていることがわかる。
その後、南北朝時代になって、この大塚氏は土岐頼康の家臣になったことが書いてある。
この人物の註には
「厚見郡川手村に住む」
とあるので、
土岐頼康の居城「川手城」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%89%8B%E5%9F%8E
にいたことがわかる。
系図は、戦国時代ごろで終わっているのだが、こうして見ると、とある大塚家の内部の系図としては、
「かなり信憑性が高いし、丁寧に書かれている」
という印象を受ける。
無茶苦茶勝手に系図を繋いだりはしていないと思う。
なぜなら、土岐氏自身が清和源氏から美濃源氏へと出た大族なのだが、その系統とは
「違う」
ということをわざわざ書いているからである。 大きい意味では同族だけれども、ネームバリューの大きい土岐氏に引っ張られることなく、
「平安時代は美濃にいなかったもんね。京都にいたんだもん」
ということをさりげなく主張し、
「主人は土岐氏だけど、負けず劣らずうちも名家だもん」
ということを匂わしているあたりが、この系図の正しさを示していると思われる。
※土岐氏からは、あの明智光秀も出ている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E6%B0%8F
というわけで、新しい大塚氏は、清和源氏頼光流から出て、のちに土岐氏家臣となった名族ということでリストに加えて置くことにしたい。
(資料教えてくださった方に、心より感謝します)
2017年1月17日火曜日
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」と大塚氏。彦根藩士に大塚氏が!
昨年の「真田丸」に引き続いて今年も戦国時代劇なNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」ですが、のちに彦根藩主となる井伊氏の活躍を描いています。
というわけで、井伊氏関連の「大塚氏」がいないか調べてみよう!とさっそくリサーチすると、彦根藩士に大塚氏が存在することが判明。
彦根藩は取扱いしやすい資料が充実していて、
彦根城博物館
http://hikone-castle-museum.jp/
さんのサイトの中に、藩士リストの資料があります。
『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト
『彦根藩史料叢書 侍中由緒帳』所収家名リスト(50音順)
どちらも原典は同じですが、並べ替えがしてあるので、使いやすいほうをどうぞ。
大塚氏は一家ありました。
■ 大塚与一左衛門 400石
籏奉行という役職で、籏指小頭代1人、籏指5人が付属していたとのこと。
残念ながら、手持ちのデータでは出自までは確認できませんでした。
(侍中由緒帳はまだ見ていません)
井伊氏が遠江の井伊谷から彦根に来たのは、慶長5年、石田三成の後釜としての佐和山城入りです。
ところが、井伊直政は家康の側近であるが故に、家康から自身の家臣や旧武田家臣などを付けてもらっているので、彦根藩のメンバー構成は、じっくり見てゆかないとダメかもしれません。
直政自身は、佐和山に入ってすぐ死に(三成の呪い?!)、そのため佐和山城を廃して彦根城が作られたという次第。
==========
近江にはもともと東近江に「大塚城」という城があり、近江守護六角氏に仕えた大塚氏がいました。
この系統は、のちに蒲生氏に仕え、蒲生の奥州移動に伴ってついていった、という話があります。
遠江大塚・駿河大塚どちらも地名としてはあったようですが、氏族のほうは、まだ未確認。
彦根藩の資料を先に見たほうが早そうですね(苦笑)
2017年1月16日月曜日
発見!NHK大河ドラマ真田丸、幸村最期のそばに大塚氏がいた?!スペシャル!
いやああああ!終わってしまってからの大発見。なんということでしょう。
昨年一年間私たちを多いに楽しませてくれたNHK大河ドラマ真田丸ですが、最終回の第50回で
幸村・作兵衛、そしてきりちゃんのお父さん高梨内記が最期を遂げる
シーンがあったのはまだ記憶に新しいところ。
幸村は最期、ドラマでは明確に描かれないものの、佐助と疲れた表情で座り込んだシーンがが忘れられませんが、なんとその横に
実は大塚氏がいた!!!!
というのですから「真田丸ファンの大塚さん」は黙っていられませんね。
そしてなんとこの資料!灯台もと暗しとはこのことで、
「幸村を最終的に討った西尾仁左衛門」の話
が書かれているまさにその場所だったのであります!!!なんてこった!
では、いきましょう!!
出典は、「徳川諸家譜 4 越前家支流美作津山松平(忠直)」の項です。
『真田左衛(門佐脱)身数瘡を蒙り猶縦横馳突す。西尾仁左衛門槍を接して之に克其首を得たり、真田勘解由、大塚清安、高梨主膳等一所にて戦死す』
おなじ話が、 「武辺咄聞書 7話」にも出てきます。
『左衛門佐は秀頼 御馬の出る事の延引を待かね、大助を人質に本丸へ入ける。其跡にて軍始りしかは、真田勘解由・大塚清安・高梨主膳と一所に左衛門佐討死す。』
高梨主膳は、内記(きりちゃんのお父さん)ですね。ドラマでは、昌幸の位牌を握りしめながら、徳川勢と戦って亡くなりました。よよよよ(泣)
真田勘解由は、のちの時代にお通の孫「真田信就」が勘解由を名乗りますが、これは別人です。
おそらく血縁ではなく、真田姓を与えられた家臣だと考えられています。
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さてこの大塚清安。かなり謎があって、別資料では九度山へ従い、かつ幸村と一緒に死んだメンバーとしては
「青柳清安(あるいは清庵・千弥)」
と書かれている人物がいます。
「銕醤塵芥抄」ではこんな感じ。
『真田勘ヶ由、大塚清兵衛、高階主膳、海野小平太、望月善太夫、禰津小六、山岡軍平、柏田玄仲、角輪佐吉、利光久兵衛、沼田清次郎、真田権太夫、森川隼人、瀧川平大夫、丹生弥二郎、星田勘平、馬淵六郎大夫』
ここでは大塚清兵衛が登場ですが。
「真武内伝追加」では、こうなります。
『真田組子真田与左衛門、江原左平太、福岡平三郎、本郷左近、早川平左衛門、真田勘ヶ由、青柳清安、高梨主膳、幸村公が危きを見て、中に隔り枕をならべ討死す』
こうして並べると、なーんか大塚清安は、記述が混じって出来た人物っぽい感じもするし、気になりますね。
調査続行!
2017年1月7日土曜日
<調査中>ブラタモリと大塚氏 ~千葉・浦安の大塚さんのルーツは?~
おひさしぶりですこんばんは。そして2017年、明けましておめでとうございます!
.
調査スピードが落ちている「大塚氏」探しの旅ですが、今年もボチボチながら更新してゆきますので、よろしくお願い申し上げます。
さて、新年最初のNHK人気番組「ブラタモリ」で、今日は千葉の浦安が取り上げられていましたが、 どうやらこの地は
大塚氏の宝庫
のようで(笑)
1時間の番組の中で2組もの大塚さんが取り上げられていました。
ひとつめは、浦安市堀江の『大塚家住宅』
http://www.city.urayasu.lg.jp/shisetsu/bunka/bunka/1005589.html
http://www.urayasu-kousha.or.jp/bunkazai/otuka.html
で、 江戸時代末期の猟師さんの家が残されています。
(番組では砂利のかわりに貝殻が敷き詰められている様子が放映されていました!面白いですね)
もう一組は、元猟師の方がインタビューに登場していましたが、この方も大塚さんでした。
どうも浦安の旧猟師町には、「大塚氏」がたくさんいるような気がします!
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さて、では浦安の大塚氏族のルーツは、どんな系統が考えられるでしょう。
浦安は、もともとは下総国葛飾郡に属する「浦安村」で、のちに「東葛飾郡」に分けられてしまいます。
この東葛飾郡には”大塚”に関わる地名は無いのですが、葛飾郡全体では、のちの「北葛飾郡」に当たる地域に大塚村があったらしいことがわかっています。
北葛飾郡の大塚氏については、
埼玉苗字辞典 さんのサイト
http://saitama-myouji.my.coocan.jp/1-4o.html
によると、(葛飾郡大塚村=杉戸町なので、北葛飾郡杉戸町だと推定)
■ 平姓・河越氏の大塚氏
ではないか、という説が!しかし、次の項には、佐々木氏の領地であった関係から、
■ 佐々木氏から出た大塚氏
の可能性も示唆されています。
また「南葛飾郡」にも大塚新田という地域名があったようで、こちらも気になります。
近代名士家系大観 さんのブログ
http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-12038348604.html
によると、南葛飾郡に大塚喜一郎さんという旧家の方がおられたようなので、こちらの家と大塚新田との関係も要調査です。
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葛飾郡全体に大塚氏が分布しているとすると、埼玉苗字辞典さんの記述が、なんとなく役に立ちそうです。(原文は古文なので、現代かなづかいでまとめてみます)
① 下総国葛飾郡大塚村・北葛飾郡杉戸町の大塚氏は、河越氏という豪族であった。
② しかし、河越姓も、もともとは大塚姓であり、下総国大塚城主となって大塚美濃守を名乗ったらしい。そして結城氏の家臣となる。
③ この系統の大塚氏の家紋は「三つ大」「鷹の羽」
④ ところが、この地域は佐々木氏の領地であることが気にかかる。
⑤ 佐々木氏は近江国蒲生大塚村より起こる。いわゆる佐々木流大塚氏である。
⑥ 佐々木氏から出た大塚氏なのか、それとも血縁なしの家臣なのかは判別しにくい。
⑦ ただし、佐々木に4人の家臣(息子)があって「金田・大塚・千代・坂巻」とのこと。
⑧ 佐々木から出て「大塚」を名乗った、という記録もいくつかある。
これらをまとめると、河越系大塚氏と、佐々木系大塚氏が、地場氏族と領主の関係からごっちゃになっている可能性がありそうですね。
四人の家臣の話は、伝承上の事柄と史実的な事柄が入り混じっているようで、播磨屋さんに詳しい解説があります。
播磨屋さんのサイト
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/syob_sas.html
私個人の感覚だと、近江佐々木系大塚氏より、河越系大塚氏のほうが、真実味がありそうな気もします(^^
というわけで、千葉の大塚さん!何かご存知のことがあれば教えてください。
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