2014年9月12日金曜日

<特別編・補足> 森鴎外「栗山大膳」に登場する大塚権兵衛について

 以前、福岡藩に関わる大塚氏についての特別編ということで、文豪「森鴎外」の描いた作品の中に大塚氏が登場することについて2つばかり記事を書きました。




 <特別編>文豪森鴎外の描く大塚氏 ~「栗山大膳」を読む~
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/01/blog-post_22.html



 <特別編つづき>「栗山大膳」登場の「大塚権兵衛」の正体
 http://samurai-otsuka.blogspot.jp/2014/01/blog-post_28.html




 ここでは、大塚権兵衛とは何者か、ということについてあれこれ資料を引っ張ってきて考察したのですが、新たに詳しい事情をご存知の方からご連絡をいただきました!


 心より感謝申し上げます!


 なんとこの方、吉田家の系図を調べてくださっており、より詳しいことがわかってきました。


 以下、その方のメールより、重要箇所を引用しておきます。



”吉田家の系図を確認しましたところ、記載されているとおり吉田久太夫の子が大塚権兵衛家を継いでいます。

 これをもう少し詳しく述べると、吉田久太夫利安の二男六之助(寛永20年生:初名半之助)が大塚権兵衛直重の養子になり十右衛門直信となりました。

 直信の母は竹中半兵衛重治の曾孫です。

 また、父吉田久太夫利安の母(長光院)は毛利元就と大友宗麟の孫にあたる人ですので、この大塚家も毛利元就、大友宗麟、竹中半兵衛の血をひくのではないでしょうか。”


 
 大塚氏の出自は明らかではありませんが、実際に養子として大塚氏を継いだ吉田久太夫の子の系統が明らかになりました。

 竹中半兵衛に繋がるあたり、大河ドラマファンとしてはワクワクですね!


 その他、前記事では明示していなかった「吉田家」と「小河家」についても教えてくださいました。


 ”両家とも黒田24騎(吉田壱岐長利と小河傳右衛門信章)の家であり、吉田家も元々姫路(八代)の出身で吉田家と小河家とは血縁関係があります。

 例えば、吉田久太夫利安の兄吉田六郎太夫知年の妻が小河内蔵允之直の娘です。”


 
 私もちょっとまだ手がつけられていないのですが、播磨にはもともと「淡河」という地名や「淡河氏」という一族がおり、赤松系に所属していました。

 その淡河氏は現在地元では「おうご」と発音するのですが、「淡河」「小河」「小川」といった一族が関連しているのではないか、と言われています。

 
 また、大塚十右衛門直重が正徳6年に没しており、曹洞宗大宝山明光寺に葬られているとのことですので、こちらも次回九州行きの際には要チェックですね。


 

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 こうして当ブログでは、大塚さんに関わる数多くの人の情報交換によって、さらなる歴史の真実に近づくという



 まるで、大塚SNS(ソーシャルネットワークサービス)



と化しております(笑)


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 匿名でもいっこうにかまいません。



 『大塚』に関しては、世界一詳しいブログを自負しております。(まあ、世界一ですな、結果的に。みなさまのおかげです。)


 今後ともよろしくお願い申し上げます。


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